森喜朗氏「お母さん、元気?」私は返す「母ではありませんよ」

西日本スポーツ

 東京五輪で日本選手団の先陣を切って登場するソフトボール女子日本代表の宇津木麗華監督は、北京五輪以来となる金メダル獲得の期待を担う中で令和を迎えた。

 生まれ故郷の中国から昭和に来日。選手や指導者として平成を駆けた。一度は五輪から除外された期間の苦しさを知るからこそ、選手には日本代表として五輪で戦う意味や価値を問い続ける。東京五輪を「競技人生の集大成」と言い切る宇津木監督が思いを語った。

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 お目にかかれば、約束事のように「お母さん、元気?」と尋ねられる。東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長だ。「お母さん」とは、宇津木妙子さんのこと。「母ではありませんよ」と笑って説明すると、森さんは「ああ、そうだったな」と頭をかかれる。元首相の森さんでさえ誤解されるのだから、まだきっと多くの方が「養女」と思っているだろう。

 中国出身の私が、30年以上も日本のソフトボール界に携わってこられたのも妙子さんがいればこそ。日本国籍を取得して宇津木姓を名乗った私に、公私にわたり家族同様に接してくださった。年は10歳違い。心はつながっている。それでいて、性格は真反対。遠征や合宿に行くときなど、きちょうめんな妙子さんは2週間前から準備をしていた。早く用意すると忘れて再確認しないといけなくなるので、大ざっぱな私の準備はせいぜい2、3日前だ。

 現役時代に旅館で妙子さんと相部屋になったときのこと。朝、目が覚めると、妙子さんが亡くなられたお父さんの写真を目の前に置き、正座をしていろんなことを話し掛けていた。私は横目でそっと見ていた。来日前に母親を失っていたけれど、亡き母とは毎朝、何も会話をしていないなと背筋が伸びたのを思い出す。

 2000年シドニー、04年アテネの両五輪で妙子さんは日本代表監督を務めた。現在は日本ソフトボール協会副会長や世界野球ソフトボール連盟(WBSC)理事の要職に就かれている。講演や子どもたちへの指導にも精力的。代表チームが1月から海外合宿を張っていた間、4月で67歳を迎える妙子さんは「今日は水戸、明日は長崎…」と、全国を忙しく駆け回っていた。叫ばれる競技人口の低下。08年北京で金メダルを手にしても国内のリーグを含めた活性化につなげられなかった悔恨が、妙子さんの背中を押している。

 スポーツ庁が19年に発表した五輪・パラに向け予算を重点配分する競技で、ソフトボールは野球と同様、Aランクに区分された。メダル獲得の期待をひしひしと感じる一方、次回24年パリに参加できない競技に対し、今後も同様の支援があるとは考えにくい。だからといって、諦めたりはしない。日本ソフトボール協会では10年後のありたい姿を打ち出し、女子の新リーグ構想を含めたプロジェクトを推し進めている。妙子さんのように現状を受け入れつつ、何を積み重ねていけるか。居場所は自分の力でつかんでいくものだ。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で沖縄での代表合宿が中止となり、選手はそれぞれの所属チームで調整している。代表15人の発表も当初予定の今月下旬から4月3日に延期された。先の見えない今こそ状況に対応していく力を問われているのかもしれない。福島でプレーボールがかかる「7・22」まで134日。妙子さんがよく口にされてきた「揺るぎない覚悟」を持って夢を編んでいく。

 (ソフトボール女子日本代表監督)

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 宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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