五輪の道断たれ40年「今も引きずって」 消えた6連続金メダルの夢

西日本スポーツ 向吉 三郎

 東西冷戦下で起きた1979年のソ連(当時)のアフガニスタン侵攻に抗議し、米国や日本などの西側諸国は翌80年のモスクワ五輪をボイコットした。40年の時を経て、今度は東京五輪が世界的な議論の対象となっている。新型コロナウイルスが世界的な感染拡大を続ける中、予定通り開催か、延期か、それとも中止か-。80年に夢の舞台に立つことができなかった「幻の代表」たちが当時を振り返った。

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 モスクワ五輪団体総合で6大会連続の金メダルを目指していた体操日本男子の夢は、不参加という形でついえた。当時順大の学生だった鹿屋体育大教授の北川淳一氏はモスクワ大会で初めて五輪代表に選ばれた。

 1980年5月5日。千葉県習志野市にあった順大に代表メンバーが集まった。6連覇を目指す合宿のスタートだった。ところが、その2日後。突然、合宿は解散となった。「(五輪参加に向けた)雲行きが怪しくなったから」。同月24日。日本オリンピック委員会(JOC)の総会で正式に不参加が決まった。団体総合を再び日本が制したのは、そこから24年後のアテネ五輪だった。

 84年ロサンゼルス五輪を逃して引退した北川氏は「なんだったんだろうね。あれは。五輪の年になると、もし出ていればって思い出す。今でも少し引きずっている感じ」とため息をつく。

 東京五輪開幕を前にした今、選手たちは目に見えないウイルスとの闘いを強いられている。「練習も満足にできないかもしれないけれど、やれることをしっかりやって待つしかない」と不安な気持ちの選手たちに寄り添った。

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