幻の五輪切符になる――知っていながら、最後の代表入りを全力でつかんだ男の話

西日本スポーツ 向吉 三郎

 東西冷戦下で起きた1979年のソ連(当時)のアフガニスタン侵攻に抗議し、米国や日本などの西側諸国は翌80年のモスクワ五輪をボイコットした。40年の時を経て、今度は東京五輪が世界的な議論の対象となっている。新型コロナウイルスが世界的な感染拡大を続ける中、予定通り開催か、延期か、それとも中止か-。80年に夢の舞台に立つことができなかった「幻の代表」たちが当時を振り返った。

   ◇   ◇   ◇

 セーリングで多くの五輪代表を育てた日本経大監督の三船和馬氏もモスクワ五輪代表だ。東京五輪代表では男子470級の外薗潤平(JR九州)、ナクラ17級の飯束潮吹、畑山絵里組(エス・ピー・ネットワーク)を大学時代に指導した。

 「(予定通りに)あることを願っても今の状況でできるのか」。三船氏は東京五輪について口にする。自身は日本が参加か不参加かで揺れる中、世界中を転戦。男子470級で五輪の選考レースを戦い抜き、最後のレースで代表を射止めた。

 「五輪代表を獲得できたことが、人生の力になっている」。5月末に日本が不参加を決めた後に行われた英国ウェイマスでの大会。「幻の代表」になることを知りながら、最後まで艇を全力で走らせた経験が今では誇りになっている。

 2012年ロンドン五輪の田畑和歌子、16年リオデジャネイロ五輪の土居一斗、今村公彦組に続き、博多湾で手塩にかけた教え子が3大会連続で五輪代表になった。「もやもやした状況が続くかもしれないけど、これも人生の巡り合わせ。気持ちを緩めずにやっていけば、きっと自分の力になる」と訴えた。

PR

スポーツ アクセスランキング

PR

注目のテーマ