ホークスかつてのドラ1田中総司氏 球児に説く「投げない勇気」苦闘糧に選んだ第二の人生は

西日本スポーツ 喜瀬 雅則

 立命大からドラフト1位で2000年に福岡ダイエーに入団した左腕の田中総司氏(42)は現在、生まれ育った兵庫・伊丹市内に「たなか鍼灸接骨院」を開業、院長を務めている。故障に苦しみ、白星すら挙げられないままに終わった不本意なプロ生活。5年間の“苦闘”を「いい経験でした」と振り返ってくれた。 (喜瀬雅則)

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 かつてダイエー、ソフトバンクでプレーした選手は今何してる? ホークスのユニホームを脱いだ「あの人の今」に迫ります。

■03年に和田が加入 背番号21から54に

 かつてのドラフト1位左腕は、若き野球人たちをサポートしていくという「第二の人生」を選んだ理由を「けがばっかりだった経験が元になっています」と振り返る。

 立命大のエースとして1試合15奪三振もマークした左腕は、00年にドラフト1位指名でダイエーに入団。開幕直後の4月5日にプロ初登板を果たしたが「キャンプの頃からやばかった」という左肘が悲鳴を上げ「スピードが15キロくらい落ちて、フォームも崩れた。大学の頃のイメージと、全く違ってしまいました」

 01年オフには左肘を手術。03年に同じ左腕の和田が早大から入団すると、背番号も21から54に“降格”。フォームをサイドに変え活路を見いだそうとしたが「パッとしたところを見せられなかった」と04年オフに戦力外通告を受けた。5年間で1軍登板は5試合のみ、白星も挙げられずに、短い現役生活に幕を閉じた。

 引退直後は左腕が上がらない状態で、私生活にまで影響するほどだったという。次世代の野球選手たちには、自分のような“苦痛”を経験させたくない。その思いから引退翌年の05年、福岡市の福岡柔道整復専門学校(現・福岡医療専門学校)へ入学。3年間の猛勉強で「柔道整復師」の国家資格を得ると、福岡市内の整骨院で働きながら3年をかけ「鍼灸師」の国家資格も取得。その後、兵庫県芦屋市内の整骨院に勤務して経験を積み、17年5月に故郷の同県伊丹市で「たなか鍼灸接骨院」を開院。施術に加えて、アスリートのコンディショニングやトレーニング指導も行っている。

■5年間のプロ生活生かしボーイズL総監督

 また、総監督を務めるボーイズリーグの「伊丹中央ボーイズ」では「きちんと指導するため」と中学生の各学年を20人に決め、選手たちに「自分の意見をはっきり言えるようにしよう」とチームの目標を掲げて、その重要性を伝えている。

 「投げない勇気、やめる勇気です。僕の1年目がいい例。痛いのに我慢して、結果的にフォームが崩れてしまった。コーチに言われて『はい』じゃない。僕は、その勇気が、なかったんです」

 5年間のプロ生活。この“苦闘”から得た教訓が、田中氏の「指針」でもある。「こうしておけば良かった…というのは思いますけど、今となってはいい経験です」。その言葉は、ホークスでの日々を“糧”に、新たな人生を切り開いた誇りと充実感に満ちていた。

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