寺を継ぐはずがフェンシング 大事故でも諦めず…パラでメダル獲得へ1年延期を好機に

西日本スポーツ 松田 達也

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、東京五輪とともに東京パラリンピックも延期され、来年8月24日の開幕が決まった。車いすフェンシングでパラ大会初出場を目指す藤田道宣(33)=日本オラクル、熊本県上天草市出身=は、高校からフェンシングを始め、全国大会でも活躍しながら、19歳での事故をきっかけに車いすフェンシングに取り組んできた。大会延期の事態も「自分の技術を高めるための時間ができた」と前向きに受け止めている。

 厳しい試練にも前向きだ。東京パラリンピックの延期を、藤田は「中止ではなくてよかったと感じた」と冷静に受け止めた。2月末から参加予定だった国際大会が相次いで中止となっても、練習を続けながら気持ちを保ってきた。

 本来は5月末の国際車いす切断者スポーツ連盟(IWAS)のランキングなどで代表入りが決まる予定だった。フルーレのBクラス(3段階中2番目に障害が重い)でIWAS世界ランク11位につける自身の出場は「当落線上だった」というが、今後の選考法は不透明となった。

 幼少期はサッカーなどを楽しみ、実家の寺「観乗寺」を継ぐことを視野に入れ、天草の中学校から仏教系の京都・平安高(現龍谷大平安高)に進学。そこでフェンシングに出合った。「スピードだけでなく、頭を使った駆け引きが面白かった」。高校3年時の2004年に全国総体に出場。1学年上には08年北京五輪で同競技として日本勢初のメダルとなった銀メダルを獲得した日本フェンシング協会の太田雄貴会長がいた。

 龍谷大でも活躍しながら、大学2年だった06年9月、海水浴で突堤から飛び込んだ際に頭を強打。頸髄(けいずい)損傷で胸から下が動かなくなった。それでも競技への情熱は消えず、先輩の太田の勧めもあって入院中に車いすフェンシングについて知ると挑戦を決めた。退院後はリハビリに取り組み、約2年かけてアスリートとしての体力を取り戻し、10年の広州アジアパラ大会で初めて国際大会に出場した。

 試合は車いすを固定して行うため、健常者と違って前後には動けない。「相手との距離感は戸惑った大きな部分だった。できる動作の範囲の中で戦術を組まないといけない」と考える。

 藤田は本来障害が最も重いCクラスだが、パラリンピックはA、Bしか実施されないため、Bに参戦。剣を操る右手の握力はなく、テープで固定しており、繊細な指使いができない。その分、健常者時代に身につけた巧みな駆け引きを生かして強豪と渡り合う。

 「世界のトップとはまだ差がある。ポジティブに捉えたら、延期はその差を埋めて、メダルが狙えるチャンスが広がったということ。1年はあっという間だと思う」。不屈の魂で苦境を乗り越えた剣士は、強い思いを実らせるまで諦めない。(松田達也)

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