アメフト復帰の元withBコージ「ずっと夢に出てくる」最後の試合

西日本スポーツ 西口 憲一

 「ブルゾンちえみ with B」の元メンバーで、アメリカンフットボール日本社会人Xリーグの「みらいふ福岡SUNS(サンズ)」に今春入団したタレントのコージ・トクダ(32)が、10年のブランクを経てアメフト選手に復帰した現在の心境を語った。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、Xリーグの春季公式戦が中止となり、チームの活動も休止中ながら、尽きない“アメフト愛”とともに新天地へ思いをはせた。(聞き手・構成=西口憲一)

【全4回の2】

-地元大阪の大阪学芸高を出た後、大学はアメフト熱の盛んな関西ではなく、関東の学校を選んだ

 基本的には関東に行きたかったんですよ。それプラス、フットボールが強いところは、となって法政かと。頼み込んでセレクションを受けました。

 そこで「これは無理だな」と。体が違いすぎる、でかすぎると。当時の僕は182センチで85キロ。高校ではでかい方だと勝手に思っていたんですけど。平気で190(センチ)超えの人もいるし。1年生の時は、それでも2本目に入れていただきました。最初からディフェンスエンド(DE)です。当時4年生の方が(学生)日本代表に選ばれるようなすごい方で、その下に(下級生の)DEがいなかったんです。

-法大時代のベストゲームは

 1年生の時の(大学日本一を決める)甲子園ボウル。関学とやった試合ですね。関西人からしたら気持ちよかったですね。地元で地元のチームを倒すのは。スコアは45-43。途中雷で中断もしました。

 負けるわけがない、と思っていた。その年はシーズン中に負けるということがなかった。とにかく、すごい4年生の人たちばかり。それが意外と(接戦になった)。僕は、出て1プレー目ぐらいでパスカットみたいなことができた。なんか、持ってるかもなと。でも、1年生で甲子園ボウルの舞台に立てるって、すごいことですよね。あの経験がずっと今に生きている。緊張せずにできるのは。

 でも、大学日本一になったのはあの年だけ。2年生の時は日大に負けて、甲子園ボウルに出られなかった。3年生の時は立命に負けました。立命が強すぎて歯が立たなかった記憶があります。

 (主将を務めた)4年生の時の相手は関大でした。当時、改修工事が終わって3年ぶりに甲子園球場で甲子園ボウルが開催されたんです。前回(1年生時に)出場した時、僕らは優勝している。だから、甲子園は僕らのもの。スタンドはほぼアウェーなんですが、この土地は俺らのホームや、みたいなことを言って頑張りましたが…。38-50でしたね。

-大学ラストゲームが忘れられない

 よく夢は見ます。一番よく見るのは瞬間的なことでいうと、試合終了のカウントダウン。あの瞬間ですね。残り10秒で。ディフェンスでフィールドに入っていたんですが、あれで僕ら、何もできずに(相手オフェンスが時間を消費するのを)見てるだけみたいな…。

 あれが、ずっと夢に出てきます。周りを見渡したら、3年生は「次、頑張ろう」と言い合っている。4年は肩を落としているみたいな。あのシーンかな。最後に負けた試合は一生(胸に)残るよ、とよく言われるじゃないですか。あのまんま、そのまんまです。

-そこから芸能の道に進んだ

 新しいことをやりたいなと。よく「(アメフトを)とことんやりきった」という話はしているんですが、ちょっと違うんです。「やりきった!」という感覚よりも、本当は「新しいことをしたいな」なんです。アメフトが全てじゃない、ということも思っていて。人生もっと楽しんだ方がいいだろうなと。

 大学時代はほとんど(練習を)休んでいませんでした。休みの時はみんなで集まってミーティングみたいな。4年生って、プレー以外にいろいろ考えないといけないことがあって。(主将になった)4年生の時、僕はレクリエーションをやってみようかと提案しました。ディフェンスとオフェンスって、同じチームでも普段はほとんど絡みがないんですよ。ましてや1年生とか2年生とか、ほぼ会話もない。それはどうなんだろう、とずっと感じていました。だから、学年やポジション関係なしに1チーム6人ぐらいずつつくって「遊び」をやろうよと。綱引きとか駆けっことかやりましたね。

(つづく)

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