「もう投げられないかも」難病克服し力投 秋山監督が極限の一戦を大隣に託した理由

西日本スポーツ 倉成 孝史

【鷹番は見た】
 プロ野球はいまだに開幕が見えない。4年連続日本一を目指すソフトバンクの生の戦いをファンに伝えられない中、弱小軍団と呼ばれた時代からひたすらホークスを追い続けてきた西日本スポーツならではのコラム「鷹番は見た」を企画した。歴代担当記者があの日、あの試合、あの出来事を振り返る。


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 担当となり軽く1000を超す試合を見てきただろう。特に現場キャップとなってからは原稿や紙面を考えながらデスクと打ち合わせをするだけに、なるべく冷静に試合を見ることを心がけている。だが時に、そんな「冷めた」目頭すら熱くさせる試合がある。

 2014年10月2日。リーグVを決めたシーズン最終戦が、その一つだ。試合後、当時の秋山監督は人目もはばからず号泣。ユニホームを着れば超が付くほど冷静な「鉄仮面」の指揮官が見せた涙に、胸を熱くした方も多いだろう。ただ個人的にそれ以上に目頭を熱くさせたのは、極限の試合で先発し6回を無失点に抑えた大隣の好投だった。

 この約1年半前、彼は病院のベッドの上にいた。「黄色靱帯(じんたい)骨化症」-。脊髄付近の靱帯が骨のように硬くなって神経を圧迫し、ひどい場合には歩けなくなる病気だ。プロ野球で過去にこの病から復帰して勝利を挙げた投手はいなかった国指定の難病。手術しても治る保証がない中、13年6月、背中にメスを入れ、背骨の一部を取り除いた。

 手術から数日後、入院していた東京都内の病院へお見舞いに足を運んだ。持ち前の性格もあり明るく振る舞ってくれたが、手術直後に酸素マスクを着けて眠る写真や、しばらく歩行もできなかったことを見聞きし、正直その後の投球姿を想像できなかった。だが懸命なリハビリを乗り越え、14年夏に1軍復帰。そして、シーズン最終戦で勝てばVが決まるという極限の一戦の先発マウンドを、秋山監督に託された。

 復帰後の大隣は、この試合前まで7試合に先発していた。直前の楽天戦は黒星。最終戦の日程でローテには余裕があったが、指揮官は大一番に左腕を指名した。後に秋山氏は「(復帰後は)野球ができる喜びにあふれて投球をしていたもんな」と、指名理由を話してくれた。実際、前日の練習後に「吐くぐらい緊張してる」と話していた左腕は、当日には「ワクワクしてきた」と言い切った。5年半が経過した今、この時の心境を「(手術で)もう投げられないかもと覚悟した。投げられる喜びと、支えてくれた人たちへの感謝の気持ちだけ。実際、投球自体は深く覚えていないんです」と振り返る。

 極度の緊張が体を包むであろうマウンドで、無心で腕を振り指揮官の思いに応えた。高い才能を持て余している感も否めなかったそれまでの左腕。「大隣クンがなぁ…」。敗戦後の取材で、普段は感情を表に出さない秋山監督が「クン付け」で選手のことを話したときは立腹の証しだったが、最も多かったのは「大隣クン」ではなかろうか。若手時代に主将の小久保からマウンド上で「公開説教」されたことも一度や二度ではない。

 14年、当時日本代表の小久保監督からは、先発での復帰前に「支えてくれた方への感謝の気持ちを忘れずに頑張れ」と直筆の手紙をもらっている。その後、リーグ優勝決定試合に続きクライマックスシリーズ(CS)を突破した試合でも好投すると、秋山監督にインタビュー中のお立ち台へ呼ばれ褒められた。この年限りで勇退した指揮官からもらった激励の色紙、小久保氏からの手紙は今でも千葉の自宅にある。愛ある厳しさで叱咤(しった)してくれた大先輩たちの思いを胸に、現在はロッテの2軍投手コーチとして若手の育成に励んでいる。

 開幕延期だけでなく、チームの活動自体も一時停止されるなど、未曽有の事態が続く今季のプロ野球。ただ開幕できた暁には、あの時の大隣のように、野球ができることの喜びを多くの選手が感じながらプレーするだろう。その日を、心待ちにしている。 (倉成孝史)

 =大隣コーチ、小久保氏の現役時敬称は略

14年の優勝争い 

 残り試合が首位ソフトバンク1、ゲーム差なしで2位のオリックスが3で10月2日の直接対決を迎えた。勝てば優勝、負ければマジック1の点灯を許すソフトバンクは2回に1点を先制、先発の大隣が6回93球で無失点と好投した。継投に入った7回に同点とされ、延長10回に松田が決勝打。チーム最終戦でサヨナラ勝ちして自力で優勝決定はプロ野球初だった。大隣はポストシーズンでも快投を連発し、日本シリーズ進出を決めた10月20日の日本ハムとのCSファイナルステージ第6戦で7回無失点、同28日の阪神との日本シリーズ第3戦も7回無失点でいずれも勝利投手となった。

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