摂津正の秘めた思い 日本一の瞬間に見た異様な光景「笑顔なき胴上げ投手」

西日本スポーツ 石田 泰隆

【鷹番は見た】

 プロ野球はいまだに開幕が見えない。4年連続日本一を目指すソフトバンクの生の戦いをファンに伝えられない中、弱小軍団と呼ばれた時代からひたすらホークスを追い続けてきた西日本スポーツならではのコラム「鷹番は見た」を企画した。歴代担当記者があの日、あの試合、あの出来事を振り返る。

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■11年日本S最終決戦

 異様な光景に映った。中日を倒し、8年ぶりに日本一の座を奪還した2011年の日本シリーズ。最後の打者となった和田が空振り三振に倒れた瞬間、捕手の細川は満面の笑みでマウンドへ駆け寄り、一塁側ベンチからも喜びを爆発させたナインが次々と飛び出していった。よく見る、あの光景だ。

 それなのに、一人だけ浮かない顔で歓喜の波にのみ込まれた男がいた。プロ3年目で初の胴上げ投手となった摂津だ。もちろん、最後のアウトを取った瞬間は試合に入り込んでいたこともあり、グラブをたたいて、拳を握り締めていた。

 しかし、どう見てもやり場のない気持ちを必死にこらえているようで、歓喜するナインとは対照的な表情だった。「日本一はうれしいですよ。少しはチームに貢献できたのかな」。試合後のコメントも、どこか淡々としていた。

 3勝3敗で迎えた最終決戦は、3点リードの9回2死一塁という状況での登板だった。第6戦まで2セーブ、2ホールドと抜群の安定感を誇り8回から登板したファルケンボーグが、イニングをまたいで続投となった9回、先頭井端の打球を右前腕部に受けて緊急降板。チームは窮地に立たされていた。

 こうなると、たとえこのシリーズの第1、2戦で敗戦投手になっていたとはいえ、プロ通算180セーブを記録していた不動の守護神馬原に声が掛かってもおかしくない状況だったが、ベンチは馬原を起用せず森福を挟み、最後のアウトを摂津に託した。

 勝った方が頂点に立つという天王山だ。チームとしても8年ぶりの日本一が懸かっていただけに、勝負のタクトとしては何ら不思議ではない。しかし、この采配に摂津の心は揺れていた。

 「正直、複雑でした。自分がプロに入ってずっと、このチームの最後を締めるのは馬原さんだったので。だから、言葉が正しいかは分かりませんが、自分がそのポジションを奪ってしまったという思いがあった」

■誰よりも模範とする

 摂津がプロで生き抜く上で、誰より模範としたのが馬原だった。練習法や調整法など野球に関することはもちろん、ともに中継ぎとしてブルペンを支えた期間にほとんど外食しなかったのも、すべての情熱を野球に注ぎ込む馬原のスタイルを踏襲してのものだった。

 「ストイックに、自分の時間をチームにささげていた。馬原さんで負けたら仕方ないという空気感を、自分でつくり出されていた。言葉ではなく、行動で示すすごさを間近で見てきた」。雲の上の存在だったからこそ、大一番で馬原に代わっての起用に戸惑った。

 ただ、だからといって職務を投げ出すわけにもいかない。そこは摂津も十分理解していた。「プロは結果の世界。ファルキー(ファルケンボーグ)に打球が当たり、肩をつくり直しておけと言われた時点で、ある程度の覚悟は決めていた」。先発した第3戦で勝利を挙げ、第5戦では中1日で中継ぎとして登板しホールドも記録していた。フル回転しながらも、心のどこかでは再度、大事な場面で登板機会が回ってくることは予測していた。

 実はブルペンを出ていく間際、揺れる心に踏ん切りをつける声が届いていた。他の投手とともに、出番のなかった馬原も鼓舞する言葉を投げ掛けてくれていた。「だから、絶対自分で(試合を)終わらせるという思いだけだった」。腹を決め、雑念を捨て、思いの限り右腕を振った。全身全霊を懸けた魂の6球で、頂上決戦にピリオドを打った。

 役割を全うした瞬間、ナインが駆け寄ってくる姿は目に入っていた。それでも喜びに浸れる気分にはなれなかった。すべては守護神馬原へのリスペクトが上回った表れだった。異例ともいえる「笑顔なき日本一の胴上げ投手」は、そうして生まれたものだった。 (石田泰隆)

 =敬称略

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