ソフトバンク甲斐が母の顔見て泣いた日 女手一つ、掛け持ち仕事の合間に

西日本スポーツ 山田 孝人

【鷹番は見た】
 プロ野球はいまだに開幕が見えない。4年連続日本一を目指すソフトバンクの生の戦いをファンに伝えられない中、弱小軍団と呼ばれた時代からひたすらホークスを追い続けてきた西日本スポーツならではのコラム「鷹番は見た」を企画した。歴代担当記者があの日、あの試合、あの出来事を振り返る。


■優勝決定後 熱いコメントを期待していたが…

 まばゆいカクテル光線に照らされながら、甲斐は誰よりも大きな注目を浴びた。2018年11月3日、ソフトバンクはマツダスタジアムで開催された広島との日本シリーズ第6戦に勝利して2年連続の日本一を達成。育成ドラフト出身で史上初となるシリーズ最高殊勲選手(MVP)に選出された甲斐は、グラウンド上での表彰式や写真撮影などに臨んでいた。

 このシリーズで甲斐は第1戦から4試合(4者)連続で盗塁阻止。4連続は1958年の巨人藤尾以来で60年ぶりの快挙だった。第6戦の1回に新記録を樹立すると、2回も阻止して6連続。糸を引くように正確な素早い送球で、走者を刺すたびにスタンドの歓声は大きくなっていった。この年セ・リーグ最多の95盗塁を記録した広島の武器だった機動力を完全に封じ込めた「甲斐キャノン」の名は全国に知れ渡り、持ち味の守備が高く評価される形でMVPに輝いた。

 歓喜にむせぶ熱いコメントと若々しく興奮する姿。そんな様子を期待してナインが引き揚げる通路でじっと待ち構えていた。ところが甲斐は冷静だった。「びっくり。投手の方が一生懸命クイックやけん制を頑張ってくれたおかげ。(相手の機動力に)不安もあったがこういう形で終われてよかった」。笑みを浮かべながらも実に冷静に、淡々と振り返る。歴史的な快挙を成し遂げた直後にもかかわらず至って落ち着いた様子が印象的で、その後もずっと気になっていた。

■激闘から2カ月 ヤフオクで聞いたあの時の真相 

 休む間もなく甲斐は日米野球に臨む侍ジャパンのメンバーに選出され、オフはイベントなどに引っ張りだこだった。そんなフィーバーぶりがようやく一段落した年末のこと。甲斐がヤフオクドーム(当時)を訪れていた時に日本シリーズのことを聞いた。なぜ、あれだけ大きな名誉の直後に冷静な様子だったのか。その理由は強い向上心と、その原動力となっている母への強い思いだった。

 女手一つで兄と甲斐を育てた母小百合さん。感謝の思いはかねて口にしていた甲斐だが、史上初の名誉に輝いた瞬間でも微動だにすることはなかった。母の顔を思い浮かべて「恩返しの途中だから」と気を引き締めたという。だからこその落ち着きぶりだった。「高校時代はやんちゃな時期もあり、本当に迷惑を掛け続けてきた。だからずっと母ちゃんのためにという思いでやってきた。これからずっと喜ばせていきたい。まだまだ数字も残せていないし」と言葉を紡いだ。

■「今でも忘れない 仕事の合間に仮眠する母の姿」

 毎日必死に働いてくれた母のことは昨日のことのように思い出す。「タクシーの仕事を終えて、少し家に帰って仮眠して。また夜にパチンコ店の清掃のバイトに行って。その仮眠をしている時の顔が今でも忘れられないんです。かわいそうになって泣けてきた。こんなに働いてるのにこれだけしかもらえない。十数万円とか」

 11年に育成選手でプロ入りし支配下登録されたのは13年のシーズン後。自身も苦労を重ね、働いて給料を得ることの大変さも痛感した。だからこそ、年齢を重ねるほどに母への感情は強くなりあふれてくる。「二度と育成からやりたくはないけど、その苦労に比べたら…。どんなにしんどくても母ちゃんのことを思えば耐えられる。ずっとその思いです」。そう話すと、ドーム内で日が暮れるまで自主トレに励んでいた。

 日本シリーズMVPを獲得しても浮足立つことはなく、19年は自己最多の11本塁打で課題とされていた打撃面でも成長。チームの3年連続日本一に大きく貢献した。今年は背番号を62から19に変更。憧れの故野村克也氏がつけていた番号を引き継ぐ願いをかなえるなど、あの時口にしていた「途中」の言葉通りに恩返しの道を突き進む。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、小百合さんは現在営んでいる個人タクシーの仕事を休業しているという。そんな母を、甲斐は「本当に体が一番。いろんな心配が出てくるけど本当に気を付けてほしい」と思いやる。「日本シリーズのMVPだけで終わりというものじゃないんです。もっともっと恩返ししないといけないし、ずっと続けていきたいんですよ」。10日は母の日。有言実行の孝行息子は感謝の思いを糧として、あくなき向上心を持って努力を重ねている。 (山田孝人)

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