ドラフト1位新人が引き継ぐ「グラゼニ」の遺志 出世相次ぐソフトバンク背番号30のルーツは

西日本スポーツ

 ホークスの背番号の系譜をひもとく「背番号列伝」。今回は球団では41年ぶりのドラフト1位外野手のルーキー、佐藤直樹が背負う「30」を紹介する。南海時代には監督として通算最多の1773勝を挙げた鶴岡一人がプレーイングマネジャー時代から19年もの間、背負った。「グラウンドにはゼニが落ちている」と名言を残した先人の遺志を継ぐように、ソフトバンク時代に入って「億男」も相次いだ背番号の歴史を追った。 (随時掲載)

 背番号30のユニホームに袖を通した佐藤は、その番号にすぐ愛着を持った。「これ、さ(3)とう(10)ってことか」。姓の語呂にはまった番号は親族からも好評だという。入団会見では背番号にあやかり、打率3割、30本塁打、30盗塁のトリプルスリーを将来的な目標に掲げた。右方向にも長打を打てるパンチ力と50メートル5秒8の俊足が光り、ドラ1らしくポテンシャルの高さを随所に見せてきた。

 南海時代、「30」はあまりにも重い番号だった。選手兼任監督2年目だった鶴岡(当時山本)が1947年から着けた。「優勝監督でMVP(最高殊勲選手)」という偉業を3度も成し遂げ、監督通算1773勝は歴代1位の大記録だ。「グラウンドにはゼニが落ちている」の名言を残した名将は、当時まだ重視されていなかった編成、育成部門にも注力。ホークスのドンが65年まで19年間着けた「30」は、その後14年もの間、空き番号となった。

 80年に台湾の“二刀流”高英傑が背負って復活すると、85年の大塚義樹からは、内田強、内之倉隆志と捕手の番号として定着した。

 親会社がソフトバンクになった2005年、番号のイメージも一新される。同年トニー・バティスタとともに入団したホルベルト・カブレラの元に「30」が渡る。年俸270万ドル(当時のレートで2億8080万円)で契約した内外野を守れるユーティリティープレーヤーは、同年に打率2割9分7厘と安定した打撃を見せ、2年間プレーした。

 07年からは専大から大学・社会人ドラフト5巡目で入団した長谷川勇也が背負い、後に首位打者&最多安打(13年に打率3割4分1厘、198安打)のタイトルを手にして年俸は2億円に到達。12年に後を継いだ武田翔太も、高卒5年目で14勝を挙げた16年のオフに年俸1億2000万円と大台を突破した。

 ソフトバンクになって「億男」が3人。佐藤の活躍次第では「出世番号」として広く知られる可能性もある。「年俸1億円は一流の証しだと思います。プロでやるからには、活躍してそこを目指したい」。プロ生活の幕開けを心待ちにするドラ1にも“グラゼニ”の遺志は引き継がれている。 (年俸は推定)

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