王会長に見いだされ支配下 ソフトバンク育成選手1期生の今 コロナ負けず「第二の人生」新たな船出 

西日本スポーツ 小畑 大悟

 育成選手の1期生が「第二の人生」の門出を迎える。育成選手制度が始まった2006年にソフトバンクに入団した小斉祐輔さん(37)が18日、福岡市内に牛タン店を開業する。千賀、甲斐、周東ら今では「育成の星」が次々に誕生しているが、小斉さんは育成ドラフト出身選手の初安打や初本塁打をマークした「第一人者」。楽天で現役生活を終えると、仙台や米国、神戸で牛タンの武者修行を積み、ついに自らの店を構える。

 いまだかつてない逆風の中、新たな船出を迎える。新型コロナウイルス感染拡大の影響で納品や融資に遅延が生じ、4月中旬を予定していた開店も約1カ月遅れた。福岡県の緊急事態宣言は解除されたが、飲食業の先行きは不透明だ。大嵐の中、第一歩を踏み出す小斉さんは「この先、生きていく中でもこんなことはない。いい準備期間になりました。全てはいい経験と思って」と下を向くことはない。

 振り返れば、自らの野球人生も常に上を向いて歩いてきた。名門・PL学園高から北海道を経て、ソフトバンクに入団。育成選手制度の導入が決まった直後の育成ドラフトで指名を受けた。同期の松田宣らとは違い、3桁の背番号からのスタートだ。「入ってしまえば一緒と思っていた。プロは『結果を出せば』というところ。支配下の選手には負けていないという気持ちだった」。当時監督を務めていた王会長に見いだされ、支配下をつかんだ。育成ドラフト出身の初安打、初打点、初本塁打をマーク。自身の足跡が歴史を刻む“第一人者”として前進した。

 金銭トレードで移籍した楽天でも1度、育成契約となったが、再び支配下選手に返り咲いた。ただ、思ったような活躍には届かず15年限りで引退。「何かの縁で仙台に行った。(名物の)牛タンの勉強をする」。知人を通して、仙台市内の牛タン店に見習社員として入った。雪かきから始まり、しばらくは店舗の掃除や野菜の下ごしらえを担当。「PLにいた時にも3年間きつい思いをしていたので…。あれ以上のものはない」とすんなり受け入れられた。元プロ野球選手の肩書も「しょうもないプライドもリセットできた」とまっさらな気持ちで次の目標へこぎ出した。

 米・ロサンゼルスの店舗にも3カ月ほど出向き、牛タンの皮むきなども行った。17年からは神戸市内の「牛や たん平」で修業。イチローさんも足しげく通う名店で調理と接客を学んだ。「料理がおいしいのは当たり前。接客での距離感が大事だと感じた」。約3年間の修業を経て、のれん分けを認められた。「牛タン店は福岡にあまりない。持ってきたら面白いと思っていた」。従業員は雇わず、1人でお店を切り盛りする。

 「店を持つことに満足というより、これで生きていかないといけないという気持ち。看板をもらう以上は必死。野球と同じでこれからは結果を出さないといけない」

 未知の育成選手としてプロの世界に飛び込み、後に千賀、甲斐、周東らが羽ばたいた「育成のホークス」のレールを敷いた自負もある。「育成出身の選手が活躍してくれたらうれしい。僕らが(支配下)登録されて、少なからず育成も面白いなとなった。大コケしていたら3軍制もできていなかったかもしれない。そういう面では良かったかな」と笑った。

 ようやく看板や仕事着も届き、18日のオープンを待つ。常に挑んできた人生。その第2章の幕が上がる。「国産のタンを使った料理で、根元の一番おいしい部分のみを食べてもらいたい。福岡、仙台と何かの縁でお店を出すことができた。昔のファンの人たちにも来てもらえたら、うれしいです」。育成からはい上がった小斉さん。コロナ禍を乗り越え、再び上を向いて歩んでいく。 (小畑大悟)

 ◆育成選手制度 2005年オフに導入され、その年の育成ドラフトでソフトバンクは、1位に小斉、2位に西山(四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツ、現1軍担当サブマネジャー兼打撃投手兼監督付)を指名した。ともに06年5月に育成選手から初の支配下登録を勝ち取った。その後もソフトバンクは育成制度を有効に活用し、戦力を強化。山田(現ヤクルト)がパ・リーグの育成出身初勝利。千賀、甲斐、周東と侍ジャパンにまで上り詰める“育成ドリーム”も生まれた。現チームでも石川、大竹、牧原、モイネロ、リチャードらが育成出身。

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