首里城が焼けた夜、沖縄生まれの左腕は悪夢と決別した「今でもあの歓声が耳に残っている」

西日本スポーツ 鎌田 真一郎

【鷹番は見た】

 プロ野球開幕を待つ中、弱小軍団と呼ばれた時代からひたすらホークスを追い続けてきた西日本スポーツならではのコラム「鷹番は見た」を企画した。歴代担当記者があの日、あの試合、あの出来事を振り返る。

 大声を発する者がいない記者席にいると、疎外感を覚えずにいられなかった。2019年11月17日、プレミア12決勝。韓国との頂上決戦で日本を応援しようと東京ドームに集まったファンは、期待をかける侍たちに大ボリュームの声援を注ぎ続けた。「山田哲人へのコールとかすごかったですよね」。代表初招集だった嘉弥真にとっても初めての感覚だったという。

 2点リードの9回、クローザー山崎が最後の打者を三振に仕留めると、嘉弥真もマウンドを目がけベンチから飛び出した。360度から降り注ぐ祝福の歓声。日本一の時と同じようにハイタッチやハグで喜びを分かち合っても、その顔ぶれは全く違う。「うれしいんだけど、なんか変な感じだった。日本一の次は世界一か、みたいな」。極度の緊張から解放されると、1カ月前に同じ東京ドームで味わった日本一とは違う新しい感情が湧き上がった。

 大会前、沖縄合宿中だった10月31日の朝。宿舎で寝ぼけ眼のままテレビのスイッチを入れると眠気が吹き飛んだ。画面が映し出していたのは、世界遺産の首里城が真っ赤な炎に包まれる様子だった。「何だ、これ…」。沖縄県出身で社会人時代の3年間を那覇市で過ごした左腕にとって、夫人とも訪れたことのある思い出の地。沖縄のシンボルが変わり果ててしまった現実を、すぐには受け入れられなかった。意識的に抑えたかった「地元」という感情が、いや応なく呼び起こされた。

 さらに5カ月前の5月21日。沖縄セルラースタジアム那覇で西武と対戦した際に屈辱にまみれていた。1点を追う7回、プロになって那覇で初登板。だが秋山に安打を許すなど、2人の走者を残したまま1アウトを取っただけで降板した。直後に飛び出す同郷山川の3ランをお膳立てする格好になった。

 1年前の沖縄遠征では登板機会がなかった。満を持して上がった晴れ舞台にもかかわらず、親族、知人ら招待した約80人の前で結果を残せないどころか、2軍降格となる始末。「いいところを見せようとして、うまくいったことがない」。その反省から、ユニホームが違うとはいえ沖縄での“再戦”では特別な感情を排除しようと決めていた。

 そして巡ってきた舞台が首里城が焼けたあの夜だった。29歳での日本代表デビューとなったカナダとの強化試合。追加招集の左腕にとって結果が大会での起用法を左右する場面だ。「ここは沖縄じゃない」。8回に声が掛かると自らにそう言い聞かせてみた。ただ、代表メンバー唯一の沖縄県民の登場に、スタンドが沸いた。悲しみを振り払うかのような歓声と指笛が鳴り響く。誰よりもホームであることを意識せずにはいられなかった。

 異様な雰囲気の中、先頭打者を高めの直球で空振り三振に封じると、2死からも直球で空を切らせた。いずれも左打者から2三振を奪い、1イニングを3人で片付けた。ベンチに引き揚げる時、ふさごうとしていた歓声を全身で受け止めた。「ずっと歩いていたかった。今でもあの歓声が耳に残っている」。やっと故郷で胸を張れた左腕は、自信を深めて大会本番へ出陣した。

 11月6日の1次ラウンドプエルトリコ戦(台湾・桃園)で左打者をきっちり抑えたサウスポーは、日本に戻っても役割を果たす。決勝前日の16日韓国戦、1点リードの7回2死一、二塁でマウンドへ。代打の右打者をチェンジアップで腰を引かせ、見逃し三振を奪いピンチを切り抜けた。

 大会を通じ計3試合に登板。対戦した3人を完璧に封じ込めた。「ほぼほぼ何もしていない」と謙遜するが、後に侍ジャパンの建山投手コーチをして「中継ぎのスペシャリストの必要性を感じさせられた」と言わしめるほど、貴重な存在だったことは確かだ。

 「あの時はがむしゃらに投げたけど、全国放送で、国民に期待されて、打たれていたらどうなっていたんだろう」。年が明けて故郷へ帰省する際、金メダルを持ち帰った。世界一の証しを目にして頬を緩める人々の顔を見て、成し遂げたことの大きさをあらためてかみしめたという。 (鎌田真一郎)

 ◆侍ジャパン強化試合 日本5-6カナダ(2019年10月31日・沖縄セルラースタジアム那覇)

カナダ 060|000|000=6

日 本 000|210|101=5

(カ)○オーモン、リッチモンド、マルクルンド、ラッツキー、モルケン、マシソン-デグラン、ホール

(日)●山口、田口、高橋礼、山岡、大竹、嘉弥真、甲斐野-小林、会沢

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