甲子園、競輪選手、落車事故…運命に立ち向かう元エース「高校野球の仲間とは今もつながっている」

西日本スポーツ

 【記者コラム】

 過去に甲子園で取材した高校球児たちが大人になってさまざまな道を進んでいる。プロ野球や社会人野球に進んだ選手もいるが、ほとんどは社会人になり野球と離れた生活を送る。そんな中で異色の道を進んだ選手がいる。2007年、東福岡の2年生エースとして甲子園に出場した小原亮哉(29)は現在、競輪選手として厳しい勝負の世界で体を張っている。

 優勝した佐賀北の「がばい旋風」で沸き返った07年夏の甲子園。憧れのマウンドに立った小原は1回戦の桜井(富山)戦に救援で登板し6回を3安打無失点に抑える好投を見せた。2回戦はこの年準優勝した広陵(広島)と対戦。2回途中から登板し、14安打9失点と猛烈に打ち込まれて2-14で大敗した。

 3年夏は福岡大会準決勝で敗退。結局、甲子園は一度きりとなったが「自分は甲子園に行けて恵まれていたと思う。不思議と甲子園は今でも鮮明に覚えているんです。甲子園の雰囲気とか、歓声のすごさとか今でもはっきり思い出せます」という。甲子園の経験があったから、その後どんな大舞台でも緊張や動揺はしなくなったという。

 競輪選手を目指したのは先に競輪選手になっていた兄将通の影響だ。福岡大に進み野球を続けた小原は故障もあり3年から野手に転向した。全日本大学選手権も経験したが、高校時代ほどの活躍はできなかった。「プロの世界でやっていきたい」と大学卒業時に競輪学校を受験したいと兄に相談。しかし「大学まで出たんだから就職した方がいい」と説得され、一度は金融関係の会社に就職した。それでも夢を捨てきれず、2年後に家族の反対を押し切って競輪学校を受験。2度目の受験で合格した。

 厳しい競輪学校の生活も「高校野球の経験があったから全然厳しいと思わなかった」と振り返る。村田修一(巨人2軍野手総合コーチ)ら数々のプロ野球選手を出した東福岡は当時、グラウンド内外での厳しさは九州でも有数だった。そこで3年間を過ごしたことが小原にとってもその後の人生の支えになっている。

 「高校野球の厳しい練習を経験したら何でもできると思います。今となっては何がきつかったのかも覚えていないけど、高校時代の経験が人生の強みになっていることは間違いないと思う」。精神的なタフさは高校時代に培ったもの。実は小原は3月の落車事故で鎖骨と肋骨(ろっこつ)を骨折した。競輪選手になって2度目の落車事故だった。しばらくレースから遠ざかっていたが、来月復帰できる見込みだ。

 新型コロナウイルス感染拡大で高校野球は今春の選抜大会が中止、その後の各地区大会も全て中止された。夏に開催予定だった全国高校総体は中止が決まり、高校野球の選手権大会も中止の見通しだ。小原は「何を目標にしていいか分からないと思う」と高校生の今の心情を思う。「でも、高校野球って仲間がいるからつらいことも乗り越えられる。仲間とは今でもつながってますよ」。チームメートが人生の大きな財産だと改めて感じている。

 小原の目標は競輪のトップクラスであるS級に上がり兄と同じレースで走ること。兄弟で同じレースに出られるのはS級だけなのだ。「人生の中でめったにないこうこう時を乗り越えたら強みになると思う。高校生も今はモチベーションを保つことも難しいですが、今が他の人と差をつけるチャンスだと思って頑張ってほしい」と球児にエールを送った。

 どんな道を選んでも高校時代の努力はきっと自分を助ける力になる。13年前の夏、甲子園に立ったエースはしっかりと運命に立ち向かっている。(前田泰子)

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