悲劇のヒーロー斉藤和巳 忘れられたもう一つの物語と、空白の1カ月

西日本スポーツ 森 淳

【鷹番は見た】

 プロ野球開幕を待つ中、弱小軍団と呼ばれた時代からひたすらホークスを追い続けてきた西日本スポーツならではのコラム「鷹番は見た」を企画した。歴代担当記者があの日、あの試合、あの出来事を振り返る。

 0-0の9回裏、日本ハムのサヨナラの走者・森本稀哲がホームを駆け抜けると、ソフトバンクのエース斉藤和巳はマウンドに崩れ落ちた。2006年10月12日、プレーオフ(PO)第2ステージ(S)第2戦。日本ハムが北海道移転後初のリーグ優勝を決めた(当時はPOを制したチームが優勝の扱いだった)一戦、衝撃のラストはファンの記憶に深く刻まれている。

 絶品の北の幸、眠らないススキノ。札幌はプロ野球担当にとっても一、二を争う「出張したい街」に違いない。当時「小僧」だった私にその権利が巡ってくることは、心なしか少なかったように思う。06年10月。短期決戦の高揚感とともに勇躍、札幌に乗り込んだ私だったが、この後、一足早く撤退することになる。

 初戦に敗れ、リーチをかけられた。嫌な話だ。2戦目も落として終戦すれば、翌朝に福岡の球団事務所で戦力外通告が始まる可能性がある。「空き家」にはできず、私は大一番を前に札幌から帰された。ドライな采配だが、どのみち翌日から札幌に用はなかったのだ。

 「あの試合の取材は現役の時から何十件も受けてきた。けど、意外とこのことは聞かれんのよ」。電話越しの声にハッとさせられる。一抹の寂しさと形容すべきか。忘れられた物語。現在のクライマックスシリーズまで続くPOの歴史で唯一、最終ステージ途中で開催球場が変わる年だった。3戦目にもつれれば、以降の舞台は福岡だったのだ。

アドバンテージ裏目

 「これ勝ったら、福岡に戻れるんや」。マウンドに向かう斉藤の胸には3年前の光景があった。03年、阪神との日本シリーズ。福岡で2連勝後、甲子園で3連敗し、後がなくなった。「博多駅に帰ってきたらホークスファンで埋まってた。頑張れ、頼むぞって…すごく勇気が湧いてきた。当時を知ってる人の語り草」。1敗も許されぬ逆境。だが福岡に戻れば…。03年は2連勝で逆転日本一だった。

 スマホも機内Wi-Fiも普及前。福岡へ戻る間、情報は遮断されていた。空港から急ぎ会社へ戻るタクシーの車内。ラジオの実況が告げた。「低めの変化球、稲葉打った、セカンドがトスして、あーっと判定セーフ、その間に…」。状況は見えない。ただ、終わったことだけが分かった。

 POが導入された04年から、ホークスは2年連続レギュラーシーズン1位ながら敗退。相手と5ゲーム差以上あれば得られた1勝アドバンテージに0・5差足りず、最終戦までもつれたPOで敗れたことで、不遇の印象は一層強まった。

 1位の価値は。ソフトバンク選手会は球団に掛け合っていた。何度も議論を重ね、他球団の理解も得て、ゲーム差に関係なく1勝アドバンテージが認められた。折衷案で盛り込まれたのが、第2S途中で開催球場が移る規定だったのだ。

 この年の春、自軍の王監督が第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本を初代王者に導き、米国の空を舞った。斉藤は内心、うらやましかった。「この1年。今まで以上に身を削らなあかん」。その王監督が夏、胃がんの手術で戦列を離れる。いよいよ、腹は決まった。

 勝利数、防御率、勝率、奪三振。投手4冠の獅子奮迅も実らずチームは3位で、アドバンテージ規定の変更は皮肉にも逆風になった。PO第1Sは初戦で西武松坂大輔と投げ合い、1失点完投負け。第2Sは雪辱戦だった。爆弾を抱える右肩で中4日先発。自身6年ぶり、この時が最後となる。

 極限の状況下、斉藤は「全てを背負い込む」ことで辛うじてわれを保った。POの因縁。王監督、そして福岡のファンへの思い。「それぐらいでないと、俺はあのマウンドには上がれんかった。普通の精神状態じゃ…」。暗示のようなもので自分を追い込んだのだ。

チーム離れて東京へ

 終戦翌日、斉藤は姿を消す。チームのマネジャーに相談し、自分で航空券を手配した。福岡へ戻る仲間と別に、実は東京へ飛んでいた。「誰にも合わす顔なんてない」。ホテルでふさぎ込み、ルームサービスで過ごした。テレビも消した。やがて京都の実家に寄る。球団行事で戻らねばならなくなるまでの約1カ月。斉藤自身の記憶もおぼろげだ。

 完全無欠の大エースが突っ伏し、同僚の肩を借りて去る。それほどの荷を背負い込み、精根尽きるまで戦い、散って、人目もはばからず涙に暮れた。ここまで何かに懸けられるのか。垣間見た覚悟に身震いするような感覚も、この場面を深く心に刻むのだろうか。

 開幕延期が続く中、06年の戦いは再び脚光を浴びている。「ありがたいよ、14年もたってんのに。身を削ったかいがある」。電話口の声にまたハッとした。「現役の時、思ってた。勝負の世界に、悲劇のヒーローなんているもんかって。辞めてからやな。向き合えて、受け入れられるようになった。『あの試合が印象に残ってる』って言ってもらえたりして。時間とともに、皆に救われていってる」

 当時、斉藤からよく聞かせてもらった言葉の一つ。「自分の価値は、自分では決められへん」。その通りだったんだなと思うし、物事の本当の意味は、その後に過ごした時間が教えてくれるのだなとも思う。(森 淳)

 =敬称略

 ◆06年PO第2ステージ第2戦 ソフトバンク打線は天敵の新人左腕・八木智哉に9回3安打無得点。無失点で投げ合う斉藤和だったが9回裏、先頭森本への四球を足掛かりに2死一、二塁。稲葉篤紀の打球を処理した二塁手・仲沢忠厚が、二塁ベースカバーに入った遊撃手・川崎宗則にトスも判定はセーフ(記録は稲葉の内野安打)。この間に二塁走者の森本が三塁を回り、本塁返球は間に合わずサヨナラ生還を許した。

 ◆06年の斉藤和巳 18勝、防御率1.75、205奪三振、勝率7割8分3厘はいずれもパ・リーグ1位。5完封を合わせ5部門トップだった。この5部門全てリーグ1位は1981年江川(巨人)以来で、パでは59年杉浦(南海)に次ぐ2人目。また西武松坂が5部門を一つも取れないのは02年以来2度目だった。

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