五輪種目最速「空飛ぶヨット」に挑むコンビの数奇な縁 原点に「幻の代表」の教え

西日本スポーツ

 セーリングの男女混合種目「ナクラ17級」で1年延期となった東京五輪代表を決めているのが、ともに日本経済大出身の飯束潮吹、畑山絵里組(エス・ピー・ネットワーク=SPN)だ。2016年リオデジャネイロ五輪で初採用され、「空飛ぶヨット」の異名を持つほど五輪実施種目の中で最速のスピード感が魅力。かつて福岡・博多湾で腕を磨いた先輩後輩コンビは1年の猶予を生かし、コンビネーションに磨きをかける。 (伊藤瀬里加)

 新型コロナウイルス感染拡大による自粛生活に区切りをつけ、飯束と畑山は5月下旬から海上での練習を再開している。1年延期が決まった東京五輪への再スタート。畑山は「2カ月(練習期間が)空いたので、最初は乗れるか不安だったけど、感覚を覚えていて良かった」と笑みを浮かべた。

 ナクラ17級は五輪唯一の男女混合種目。最速で時速50キロほどに到達し、「空飛ぶヨット」の異名を取るほど五輪実施種目の中で最速のスピードを誇る。それまで470級が主戦場だった大学の4学年違いの2人が新たな種目で16年にペアを結成した。ともにリオ五輪の代表をあと一歩のところで逃した共通点がある。

 飯束は「もともといろんなものに挑戦したい性分。新しい世界に挑戦したい気持ちがあった」と転向を決断。畑山の経験値を買い、オファーをかけた。畑山はリオを逃した後、競技から離れて神奈川県内のヨットショップで働いていた。マーケティングの勉強も始め、「このまま自分でショップを開いてもいいな」と考えていた。それでも誘いに応じて飯束とナクラ17級に乗ると「第一印象がすごく楽しかった」ととりこになった。

 16年秋から本格的に練習を始め、17年からは東京五輪を目指して各国を転戦する。新しい種目だけにコーチ探しが難航。当初は独学だった。畑山は「自分たちがやっていることが正解か分からなかった」と振り返る。映像を何度も見返したり、海外選手に質問したり。試行錯誤を繰り返した。

 昨夏からはリオ五輪の同種目にスイス代表で出場したマティアス・コーチの指導を受けている。種目に特化した専門的な指導を受けられるようになったことで、技術面でも迷いがなくなった。今年2月の世界選手権で日本連盟の選考基準を満たし、代表の座を射止めた。日本勢ではこの種目で初の五輪切符という栄誉だった。

 ところが代表内定直後に、五輪の1年延期が決定。ただ、2人はプラスに受け止めている。飯束は「世界のトップと戦うには自分たちの実力は足りないと感じていた」と明かす。これまで新しい船の操作に慣れることで手いっぱいで、細かな技術、戦術面に手が回らなかったという。「帆の形や船の形、スピードを数値化して、見える化、データ化して、ヨットのレベルアップにつなげられたらと思っている」と強化プランを描く。

 神奈川・江の島での晴れ舞台を見据え、2人は「最終日のメダルレース(10艇)に残ること」と声をそろえる。飯束は「風を相手にして戦うスポーツなので、風の気まぐれがある。こちらが合わせられたら、メダルを取れる可能性がなくはない」。気まぐれな江の島の女神を振り向かせるため、2人は“飛び”続ける。

学生時は博多湾練習拠点

 飯束、畑山組はともに学生時代を福岡で過ごした。博多湾を練習拠点に、日本がボイコットした1980年モスクワ五輪代表の三船和馬氏の指導を受けた。

 飯束は故郷の神奈川を離れ、強豪の福岡第一高に進学。何時間も繰り返した基礎練習が思い出に残る。そのまま系列の日経大に進んだ。「三船監督は理論派。映像とか見ながら分析する(指導の)形は今も受け継がれている」と振り返る。

 畑山は日経大卒業時に引退も考えた。体格と身体能力を見込んだ三船監督から「ヨットを続けなさい」と背中を押され、競技を続けた。恩師の説得が、後の東京五輪代表という形につながった。

 同大ヨット部出身者の五輪出場は3大会連続となり、東京大会は男子470級の外薗潤平(JR九州)も代表を決めている。

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