ホークス背番号「9」列伝 柳田の前は小久保…その前は? 懐かしの暴れん坊助っ人も

西日本スポーツ

 首位が見えてきた福岡ソフトバンクの大黒柱、柳田悠岐外野手の背番号9は強打者の証しだ。南海時代の堀井数男、南海からダイエーへの移行期につけたトニー・バナザード、そしてダイエーを常勝軍団へと変貌させソフトバンク時代にまたがって「ミスターホークス」と称された小久保裕紀ら、時代を代表するスターたちが背負ってきた。ホークスナインの背中で受け継がれてきた歴史を探る「背番号列伝」。今回は9の系譜を紹介する。

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 これまで背番号9をつけた14人はすべて野手だ。南海時代に特筆すべき活躍を見せたのが1946年から65年まで(60年以降はコーチ)背負った堀井数男。51~55年の5年連続全試合出場は松田宣浩が昨年並ぶまで球団単独2位の記録だった。

 そんな鉄人は強打者としてもチームを支えた。現役16年で1513安打を放って通算打率2割7分2厘。53年にはリーグ2位の打率3割1分4厘をマークした。同年はオールスター第3戦でMVPを獲得、外野手部門でシーズンのベストナインに輝いた。

 66年以降は数年周期で持ち主が変わった。87年に来日2年目のデビッド・ホステトラー(登録名はデビッド)が球団の外国人で初めて9をつけ、翌年からはトニー・バナザードだ。米大リーグで1000試合以上出場した助っ人は来日1年目の88年に当時プロ野球最多となる3度の退場処分を受けるなど気性の激しさで知られたが、打棒は本物だった。同年に今も破られていない球団最長の28試合連続安打を記録するなど打率3割1分5厘をマーク。ダイエー元年の89年は34本塁打を放ち、ウィリー・アップショー(33本塁打)とともに30発コンビを結成した。

 その後は内之倉隆志が3年間背負い、94年から小久保裕紀がつける。入団2年目の95年に王貞治監督が就任。「世界の王」の下で4番として育てられた主砲は弱小球団を変貌させ、常勝の礎を築いた。当時の球団幹部による暴走で2003年オフに無償トレードで巨人へ移籍。球団は05年にソフトバンクとなって以降も空き番のままにした。小久保は07年にフリーエージェント権を行使して古巣に復帰し「9」を再び背負い、12年に現役引退するまでつけ続けた。計16年にわたり歴代選手でも最も長くつけたこの番号は「ミスターホークス」の代名詞となった。

 その後2年間は空き番。そして15年、入団当時から小久保が後継者として声を掛け続けてきた柳田悠岐が44から9へ変更する。「尊敬する小久保さんがつけていた背番号9ということで本当にうれしく、身の引き締まる思い。(9に)ふさわしい選手になれるよう頑張りたい」との言葉通り、変更初年の15年にトリプルスリーを達成。一流選手の仲間入りを果たした。

 昨年は小久保氏から「50発指令」が出ていたが、故障で38試合の出場にとどまり7本塁打。悔しさを晴らすように、今年は開幕が延期となりながらもスタートからインパクトの強いアーチを量産している。現在の球界でもっとも三冠王に近いとされる存在。受け継いだ背中の番号を今年こそさらに輝かせるつもりだ。(一部敬称略)

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