「金」の重圧に耐え世界一 グラウンドでまさかの「お姫さま抱っこ」

西日本スポーツ

 東京五輪ソフトボール女子日本代表の宇津木麗華監督は、北京五輪以来となる金メダル獲得の期待を担う中で令和を迎えた。

 生まれ故郷の中国から昭和に来日。選手や指導者として平成を駆けた。一度は五輪から除外された期間の苦しさを知るからこそ、選手には日本代表として五輪で戦う意味や価値を問い続ける。「競技人生の集大成」と言い切る東京五輪への道のり。その思いを語った。

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 長身で、いつでもすっと伸びた背筋は年齢を感じさせない。私とは1回り離れており、今年で69歳になる。このほど就任した日本ソフトボール協会の三宅豊新会長のことを以前から「先生」と呼んでいる。国際ソフトボール連盟の選手部門で殿堂入りしている男子日本代表の元エース。実際に母校の群馬・新島学園高で教員歴もあるので、「先生」の呼び方も間違いではない。腕を素早く1回転させて投げる「ウインドミル(風車)投法」の先駆者といわれており、ビデオで見たことがあるフォームは翼を広げたタカを連想させる。

 2012年夏にカナダであった世界選手権。私が1度目の代表監督として臨んだ大会で、先生には団長として支えていただいた。08年の北京五輪で手にした「金」の価値を下げないためにも優勝するしかない。そんな重圧を抱え、選手起用で思いを巡らせることも多かった。「監督のやりたいようにやるのが一番だから」との励ましに救われた。

 勝利という目標に向かって戦略を立てる過程で一片の悔いも残したくない。選手への意思表示も同じ。互いの理解を深めるためには時間をかけることも必要だ。半ば伝説の人でありながら、何事にも自然体な先生の思考は投法同様に風車に似て、風通しの良いチームづくりを目指す上でヒントとなった。それまで中軸を任せていた山田恵里(当時日立ソフトウェア、現日立)を高出塁率と俊足を買って大会途中から1番に据えた。米国との決勝は忘れもしない7月22日。バースデー先発の上野由岐子(当時ルネサスエレクトロニクス高崎、現ビックカメラ高崎)が完投し、延長十回の末に2-1で競り勝った。

 試合後、決して軽くはない私の体を抱きかかえて、先生は会場のグラウンドを何周も回ってくれた。うれしかった。ソフトボールに寄り添って歳月を重ねてきただけに、男性を意識することもあまりない性格だ。そんな私が乙女のような気分を味わったのは、あるイベントで俳優の三浦友和さんにプレゼンター役で花を手渡した時と、先生にお姫さま抱っこをされたあの日だけかもしれない。

 コロナの影響で外出を控えていた今春、先生に「息災ですか」とメールを送ったことがある。すると花の絵の写メールで返信があった。昔から描画が趣味で「外に出られないから、久しぶりに描いています!」とのメッセージが添えられていた。周囲を紫色で彩られた黄色の花。東京五輪まで2度目の「あと1年」を迎え、時折眺めている。

 7月に入って、感じることが多くなった。今夏五輪が開催されていたとしたら…緊張して眠れない、食事も喉を通らない日々が続いているのだろうか。上野の38歳の誕生日となった22日は本来、福島でプレーボールがかかっていた。ソフトボール界の新たな歴史を築く大会、その第一歩は来夏へ持ち越された。大輪の「花」を育む、かけがえのない1年にしたい。(ソフトボール女子日本代表監督)

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 宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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