甲子園、ドラ1も、戦力外、野手転向…「あの時があったから続けられた」独立リーグから米メジャーに挑む剛腕

西日本スポーツ 森 淳

 かつて甲子園を沸かせた北方悠誠投手(26)が見果てぬ夢を追っている。佐賀・唐津商高から2012年にドラフト1位でDeNA入団もわずか3年で退団。ソフトバンク育成を経て独立リーグを転々とし、昨季ルートインBCリーグの栃木入りすると、途中で米大リーグのドジャースとマイナー契約し渡米した。今季はコロナ禍でマイナーリーグが中止となり、ドジャースと契約したまま今月1日に栃木と再契約。紆余(うよ)曲折を経てメジャーを目指す、未完の剛腕に現在の思いを聞いた。(聞き手・構成=森淳)

<実感湧かなかった>

 ―思わぬ道が開けたのは、栃木入りして迎えた昨春だった。ドジャースのスカウトのスピードガンで100マイル(約161キロ)を計測。マイナー契約でスピード合意した。

 状態は良かった。プロ野球のスカウトが来てくれるかなと思ってたら「ドジャースが見に来るよ」と言われて「はい?」と。運も良かったですね。そこでいい投球ができて、電話で「サイン(契約)しようと思っている」と言われて。最初は実感が湧かなかった。

 ―米国1年目はマイナー最下層のルーキーリーグで先発、救援両方で投げた。ステップアップを期した今年。2月に米アリゾナ州でキャンプイン後、思わぬ事態となった。

 2、3週間ぐらいしてフロリダ州で(選手に新型コロナウイルス)感染者が出て、こっち(アリゾナ)も施設が閉鎖。米国の選手はみんな実家に帰った。自分の国に帰れない選手たちと、ホテルの近くの公園で体を動かしたりしてました。

 ―1週間余り待機したが事態は悪化。チームの練習再開の見通しは立たず、帰国した。やがてマイナーリーグは史上初の中止が決まった。

 (今年は)もったいない部分もあるけど仕方ないし、去年(米国へ)行けて良かったなと。そこはプラスに捉えてます。

<逃げていた部分も>

 ―そこまでの道のりも波瀾(はらん)万丈だった。唐津商高3年夏、佐賀大会から甲子園までほぼ1人で投げ抜き、最速153キロ右腕として名をはせた。ドラフト1位でDeNA入りしたが、3年で戦力外。この年は横手投げにも挑戦し、球速130キロ台前半の時期もあった。

 結局は自分です。自分で悪くなっていった。当時のアドバイスは今でもプラス。その時、できなかっただけで。

 ―深刻な制球難に陥り、イップスとも言われた。実際はどうだったのか。

 イップスは指先の感覚がなくなるって言う人もいるけど、僕は指先の感覚はあった。でも、イップス?と聞かれれば、イップスでしたと答えます。僕はどっちでもいい。(体各部を連動させる)タイミングが悪すぎた。それが直れば投げられるとは思ってました。

 ―DeNA退団後、トライアウト、秋季キャンプでの入団テストを経て、育成で地元九州のソフトバンク入りした。

 工藤(監督)さん、佐藤義則(投手コーチ=当時)さんに教えてもらって。ぎこちなかったけど、結構、指にかかった球がいってました。

 ―ただ現実としてシーズンは3軍で数試合の登板。再び戦力外となった。

 入来(祐作3軍投手コーチ=当時)さんたちが付きっきりで教えてくれたんですけど。練習を早く上がったり…逃げてた部分がありました。投げられない自分から。

 あんな状態でもとってくれたホークスには感謝しかないです。子どもの頃から見ている好きな球団ですし。当時の3軍には笠谷や松本、栗原がいました。お互い西戸崎(旧ファーム施設)の寮生で。今、活躍する姿を見て、うれしいです。

 ―その後は独立リーグを転々。半期限りでの退団もあれば、野手転向した時期もあった。翌年の契約で「練習生」を提示され、退団したことも。NPBの支配下登録期限を考えれば開幕からのアピールが必要で、練習生スタートは厳しかった。

 ―苦境だったが手応えもあった。球速は年々上がり、18年信濃で159キロ。プロ2年目のオフ、ソフトバンク甲斐とも組んだウインターリーグで計測した自己最速158キロを更新していた。覚悟を持って昨季、栃木入りした。

 去年でもう、野球は上がろうと思ってたんです。満足いく、160キロを投げて。だから、どんな形にせよ上のレベルに行けるなら、オファーをもらえたらすぐに行くとは決めてました。栃木ではいっぱい使ってもらった。打者と対戦する中で感覚が良くなった部分もありました。

 ―栃木には西岡剛という米球界経験者がいた。

 オファーをもらいました、って言ったら「絶対行った方がいい」と。ダルビッシュさんからも言われました。以前、オフに一緒にトレーニングさせてもらって、メニューを教わって。「これをやっとけば球速は絶対戻る」と。その年の僕の最速は152キロ。あの言葉は大きかったです。自分の心の中にずっとあった。

<まだ伸びると思う>

―苦しんだ時期は今、どんな意味を持っているのだろうか。

 あの時があったから、ここまで続けられている。高校の時はがむしゃらに投げていただけ。考えて、いろいろ工夫し、自分なりの感覚で、ちょっと投げられるようになってきた。高校の時からできた人は今頃、活躍してる(笑)。気付くのが遅かったけど、そういうのも財産ですし。

 ―米マイナーの練習が再開せず、9月1日に栃木と再契約して登板を重ねている。来季の情勢は不透明ながら、晴れ舞台を目指して着実に準備を続ける。

 今が一番、脂が乗る時期。まだ自分でも伸びると思ってます。「困ったら北方」という投手になりたい。できるだけ早くメジャーに行きたいけど、まだ僕はルーキーリーグで止まってるので。来年2A、3Aまで行けたら。けがをせず、年間通して戦いたい。

 ―父・伸一さんは、ダイエーで活躍した「炎の中継ぎエース」こと故藤井将雄さんの後援会の事務局長だった。北方は帰省のたび、藤井さんの墓前に手を合わせる。けががないように、見とってください。それだけ、お願いするという。

PR

プロ野球 アクセスランキング

PR

注目のテーマ

福岡ソフトバンクホークス アクセスランキング