ソフト代表監督が見た上野由岐子38歳の現在地 よみがえった「第六感」

西日本スポーツ

 東京五輪ソフトボール女子日本代表の宇津木麗華監督は、北京五輪以来となる金メダル獲得の期待を担う中で令和を迎えた。

 生まれ故郷の中国から昭和に来日。選手や指導者として平成を駆けた。一度は五輪から除外された期間の苦しさを知るからこそ、選手には日本代表として五輪で戦う意味や価値を問い続ける。「競技人生の集大成」と言い切る東京五輪への道のり。その思いを語った。

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 力が衰えない選手など存在しない。いくら頂点を極めても、年月とともにパフォーマンスは落ちていく。競技問わず、自然の摂理でもある。そんな寄る年波にあらがいながらも、ふとした瞬間にひらめきや気付きに出合うことがある。ビックカメラ高崎の連覇で幕を閉じた日本リーグ女子の決勝トーナメント。2日間で計269球を投げ抜いた38歳の心境を、私はバックネット裏から想像していた。

 1-0で競り勝ったホンダとの決勝。上野由岐子は最終回の七回裏に1死一、二塁のピンチを招いた。一打同点、長打なら逆転サヨナラ負けとなる場面で、米国代表でもあるカルダが代打で登場してきた。普通なら一発のある外国人打者を迎えるのは嫌な状況だ。周囲で心配の声が上がっても、私は打たれるイメージが湧かなかった。上野はこんなピンチで外国人選手にめっぽう強く、逆転本塁打を浴びた記憶がない。結局、抜いたような変化球で空振り三振に切って取った。

 勝敗のポイントは直前の1死二塁から日本人の右打者を「攻め」の四球で歩かせたことだ。今季は新型コロナ禍でリーグ戦の試合数が減ったこともあり、この右打者の情報が少なかったのではないか。負けが許されない試合。低めの際どいコースに手を出してくれたらという「四球OK」の投球だった。上野はカルダが代打に備えてネクストで素振りをしていたのを視界に捉えていたはずだ。もし、カルダに怖さを感じていたら、前の打者で勝負していた。それをせずに、サヨナラの走者となる四球を与えたのは、カルダを抑えられる自信があったからだ。

 目の前の打者と対しながら、次の打者とも勝負している。だから、あの四球は「逃げ」ではない。勝負勘を研ぎ澄ませ、計算した上での「攻め」の四球だった。三振を14個奪ったとか、完封したとかではない。チームの勝利だけを念頭に置き、持てる引き出しから最善の策を選び出す。そのベースになる、本人でしかわかり得ない“第六感”が今年の総決算の試合でよみがえったように映った。

 開幕戦でトヨタ自動車に6失点KOされるなど今秋の上野は本調子ではなかった。世の中の人は「もう上野は駄目かも…」と感じたかもしれない。私は駄目だとは思わない。ただし、昔のように100パーセント良い投球をする確信も持てなかった。ある日、私は上野にこんな話をした。

 「あなたの背中を見せてあげなさい。後輩たちが、いつの日かあなたと同じような立場になれるように」

 トヨタ自動車との再戦となった決勝トーナメントの準決勝は下半身に不安を抱えていたようだ。時折雨が降り、気温も上がらない中、投げ急ぐことなく力感を出さないように抑え気味に投げていた。8安打されても、4点失っても、勝利だけは逃さなかった。心技体が一致したのだろう。捕手や野手に声を掛けて心を通わせていた。私が最も見たかった上野由岐子だった。(ソフトボール女子日本代表監督)

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 宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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