采配批判された工藤監督に恩師がかけた言葉 受け継がれるV9戦士の血

西日本スポーツ 倉成 孝史

 ◆日本シリーズ第4戦 ソフトバンク4-1巨人(25日、ペイペイドーム)

 福岡ソフトバンクが歴史的な強さで4年連続11度目の日本一に輝いた。かつて9連覇を達成した巨人を相手に史上初の2年連続スイープ。リーグ優勝した上での頂点は3年ぶりで、工藤監督は歴代3位タイとなる5度目の優勝を飾った。大幅に延期された公式戦開幕から5カ月余り。球団名がソフトバンクとなって出場したシリーズ7度すべて優勝の最強軍団が、盟主交代をはっきり印象づけて特別な一年を締めくくった。

 胴上げに代わる新様式、本拠地のグラウンドに今年3度目の輪ができた。「昨年日本一になって4連覇が目標になった。大きな目標に向かい、選手たちが素晴らしい戦いをしてくれた」。4年連続日本一は王、長嶋を擁し川上が率いた巨人V9以来。2年続けて巨人に4連勝で成し遂げ、盟主交代を印象づけた。

 今年も短期決戦の鬼だった。勝負どころで一人一殺の継投。個人記録に脇目も振らず方程式を稼働させ、誇り高きナインが応えた。日本一請負人。その血肉は、V9戦士たちとの連綿たる奇縁に他ならない。

 監督1年目にリーグVと日本一。勇躍して臨んだ翌2年目に大失速でV逸し、クライマックスシリーズで散った。いやでも聞こえる采配批判が耳に入ってきたころ、電話口で励まされた。「いろいろ言われても自分の思った通り進め」。西武でプロ入り当時の監督だった広岡達朗氏だった。

 V9の起点、1965年の正遊撃手は「坊や」と呼び目をかけてくれた。結果を残せずに迎えた3年目途中。米国への野球留学を命じられた。メジャーを目指し飢えた男たちの姿に頭を殴られた気がした。「あの時アメリカへ行っていなかったら、その後の自分はない」。焦燥が鍛錬に駆り立てた。ついには48歳まで現役。支えたのは圧倒的な練習量で、現在もナインに求める根拠だ。

 捕手としてV9の頭脳だった森監督が就任すると、エース格の一人として西武の3年連続日本一を後押しした。マウンドでの働きと等分に、鼻っ柱も強かった20代。首脳陣とのボタンの掛け違いもあったが、反省として生かす。指揮官となった今は一つの指示を出す際でも、選手の声に耳を傾けるプロセスを怠らない。

 王監督に請われ、95年に弱小ダイエーへ移りともに常勝軍団を目指した。V9の象徴でもある世界の本塁打王が、生卵を投げつけられてもグッとこらえていた強い背中は、脳裏から消えることはない。「王会長が築いたこのチームを止めてはいけない」。常勝の未来への継承に、強烈な使命感を持つ。これまで以上にファーム視察を重ねる予定はコロナ禍で狂ったが、ホームでの試合後は自宅で必ず2軍戦の映像を確認した。

 昨年、日本一を決めた翌日。真っ先にやったことは普段は顔を合わせることの少ない2、3軍スタッフ全員に直接電話をかけ一年間の慰労と感謝を示すことだった。「1、2、3軍、リハビリ、全員の力がないと強いチームではいられない」。V4シーズンは球史に残る快進撃で、圧倒的すぎるチーム力を示した。

 10歳で野球を始めた。親子のキャッチボールで、父はわずかでもそれた球は捕球してくれなかった。「まさに星一徹と飛雄馬」という関係。居間にも厳しさがあった。毎晩、テレビの中の巨人を応援した。ひたすら王、長嶋のアーチを願った。好きではなかった。敗戦におびえていた。大のG党だった父は、巨人が負けると不機嫌になった。今とは時代が違う。他の家庭同様、時に鉄拳も飛んできた。V9は工藤少年にとって切実なテーマでもあった。

 原風景とも呼べる場所がある。2018年オフ。トレーニング理論を学ぶため渡米した。当初予定になかった場所に足を運んだ。留学時に汗を流した西海岸の都市「サンノゼ」のスタジアム。街並みは30年以上前とは様変わりし、ボロボロだった球場もロッカーもきれいになっていた。ただ、変わらないものもある。グラウンドへ足を踏み入れると、変わらぬ風景と土と芝のにおいが、がむしゃらだった初心を呼び起こしてくれた。

 巨人とのシリーズ。昨年は2位から勝ち上がった。今年はリーグ王者同士。その意味では00年、ファンが待望した「ONシリーズ」以来、真の頂上決戦になった。長嶋監督に請われ移籍1年目だった当時は巨人のエース。初戦のマウンドを任された。20年後。指揮官として、伝説の領域に足を踏み入れ始めた。 (倉成孝史)

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