一度は頂点から遠ざかったソフトバンク 常勝への転機は「逆指名」終了

西日本スポーツ

 2020年、ソフトバンクは節目のシーズンを迎えた。前身のダイエーから球団を引き継いで15周年。ソフトバンクになって初めて日本一になって10年目。そして、プロ野球でいち早く導入した3軍制のスタートからもちょうど10年目のリーグ優勝、日本一だった。

 1989年に南海から球団を買収したダイエーは大阪から福岡へ本拠地を移転。地元の熱気とは裏腹に黒星が続き「パ・リーグのお荷物球団」とまでいわれた。95年に就任した王監督はV9巨人の看板選手。粘り強く選手を育て上げ、99年に頂点に立った。2000年にリーグ連覇を成し遂げたものの、日本シリーズの「ON対決」で長嶋監督率いる古巣に敗退。21世紀に入り03年に日本一へ返り咲いた後は、04年に導入されたプレーオフ制度の壁にはね返され再び頂点が遠のいた。

 05年のソフトバンク誕生後、プロ野球のドラフト制度が大きく動く。逆指名、自由獲得枠、希望入団枠と名称を変えながら続いた「自分で選んだ球団に入る」システムは06年を最後に終了。入れ替わるように始まった育成制度を真っ先に生かしたのがソフトバンクだった。西山、小斉を1年目に支配下登録。投手、野手として、それぞれ育成出身選手で史上初めて1軍の舞台に立った。

 その後、山田が育成4年目の10年に支配下入りして4勝。同年秋、過去最多の29選手が指名された育成ドラフトで、11年に3軍制をスタートするソフトバンクは巨人に次いで多い6選手を指名した。そのときの4位以下にいたのが、今年の日本シリーズにも主力選手として出場した千賀、牧原、甲斐だった。

 3軍制を敷いたことで長く2軍本拠地として使用してきた福岡市の雁の巣球場が手狭になった球団は、自前でファーム本拠地の建設を決めた。公募で移転先を福岡県筑後市に決め、メイン球場のタマホームスタジアム筑後とサブ球場、屋内練習場、選手寮などを一体化。最新の機器をそろえた総額50億円超の一大育成拠点「HAWKSベースボールパーク筑後」を16年3月に開業した。

 この年のドラフト1位ルーキーが高橋純。6位には今年、今宮の離脱もあり巡ってきたチャンスをつかみ出場機会を大幅に増やした川瀬がいた。周東、大竹をはじめ6選手のうち既に5人が支配下入りした18年の育成入団組、支配下指名選手のうち投手の5人がすべて1軍デビューした19年入団組も筑後で鍛え、羽ばたいていった面々だ。

 今はチームの屋台骨を支える柳田、中村晃も1年目から活躍したわけではない。ドラフト1位でも2軍ではなくまず3軍でデビューするケースも増えた。今年はドラフト対象ではないモイネロを含め、育成出身4選手が投打7冠。99年の日本シリーズで白星を挙げた元投手で、現役引退後はファームで育成担当ディレクターなどを歴任、現在は編成育成本部長兼スカウト・育成部長を務める永井氏は「とにかく長所を優先して伸ばす育成方針。短所は後でカバーすればいい」と支配下、育成を問わず続々と選手が育つ背景を説明する。

 球団は12年に本拠地ドーム球場を約870億円で買収し、15年にホームランテラスを新設。19年に悲願だった収容人員4万人超を実現した。「選手の予算はつくるべきではない」(後藤社長)との方針の下、日本選手総年俸は16年に初めて12球団トップに浮上。海外に目を向ければキューバルートを確立し、デスパイネグラシアル、モイネロはいまや欠かせない戦力だ。19年途中のスチュワート獲得は前例のない挑戦として日米に衝撃を与え、全米ドラフト1位指名を受けた逸材のデビューに注目が集まる。

 後藤社長はかつてこう強調した。「FA(フリーエージェント)で取った選手だけで強いチームはできない。数人のFA選手がいて、その背中を見て筑後で乗り越えてくる選手が出てくるからチームは強くなる」。ハードもソフトも必要と判断すれば資金を惜しみなく投入し、育成、補強の両輪で常勝軍団を築き上げた。4年連続日本一の先にあるものは巨人のV9しかない。その巨人に力の差を見せつけて、不滅といわれてきた大記録に挑む態勢を整えた。

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