若き日の上野由岐子に重なる姿 19歳左腕がソフト代表に選ばれた訳

西日本スポーツ

 東京五輪ソフトボール女子日本代表の宇津木麗華監督は、北京五輪以来となる金メダル獲得の期待を担う中で令和を迎えた。

 生まれ故郷の中国から昭和に来日。選手や指導者として平成を駆けた。一度は五輪から除外された期間の苦しさを知るからこそ、選手には日本代表として五輪で戦う意味や価値を問い続ける。「競技人生の集大成」と言い切る東京五輪への道のり。その思いを語った。

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 ふと、若き日の上野由岐子にダブらせることがある。球の速さではない。迷いなく腕を振り、低めに制球良く投げ込んでいく姿だ。トヨタ自動車の左腕、後藤希友(みう)は愛知・東海学園高から加入して2年目の19歳。左右の違いこそあれ、日本の大エースへの階段を駆け上がっていた20年近く前の上野に通じる。

 11月上旬にあった日本リーグ女子の決勝トーナメント準決勝。後藤はビックカメラ高崎の上野と先発で投げ合った。結果は4―5で敗戦。毎回のように走者を出しながらも粘り強く投げた上野に軍配が上がった。勝敗はともかく、この試合の後藤は球審を「味方」に付けていたように映った。

 今秋のリーグ戦は傾向として高めのストライクゾーンが広かった。唯一低めをしっかり取っていたのが今回の準決勝の球審だった。後藤は特徴を頭に入れていたかのように、低めの際どいところに投じていた。ストライク、ボールの判定は覆ることはない。だからこそ球審を自分の「味方」にできるかどうかは重要。低めに落ちるドロップを巧みに交えながら、球の見極めにたけたビックカメラ高崎の打者にボール球を振らせていた。投球の組み立てでも非凡なセンスを感じた。

 後藤は球種が少ない。上野も若い頃は真っすぐとチェンジアップしか持っていなかった。その点でも2人は似ている。将来は日本を背負う大黒柱として、世界に通じる投手に育ってほしいので、後藤には代表合宿などを通じて浮き上がる軌道のライズボールを練習させている。小柄な選手が多い日本人だけでなく、180センチ超の長身選手でも打てないライズボールを覚えないと、米国をはじめ海外の強豪とは戦えない。

 トヨタ自動車はページシステム(敗者復活戦を含んだ変則トーナメント)の決勝進出を懸けた試合でホンダに敗れた。負けず嫌いの後藤のことだ。唇をかんだことだろう。そこで私はあえて言いたい。ビックカメラ高崎との決勝に進めなかったのに、「悔しい」と感じるのは違う。上野と大一番で再戦を果たしてこそ、彼女の「悔しさ」は初めて意味のあるものになる。

 成長過程の段階でもある後藤を代表の強化指定選手(20人)に入れた。6人を召集した投手陣の中では、二枚看板の上野が現在38歳、藤田倭(太陽誘電)は12月で30歳になる。当然東京五輪の後も見据えなければならない。2大会後のロサンゼルス五輪が開催される2028年は後藤が27歳、後藤と競わせている21歳右腕の勝股美咲(ビックカメラ高崎)が29歳になる年だ。ともに脂が乗った時期を迎える。

 横浜、高崎、高知、沖縄と続く代表の国内強化合宿で、私は日本ソフトボール協会に頼んで後藤と勝股の映像を残そうと思っている。いつの日か、自分の言葉で投球理論を語るための資料にしてほしい。若手から大黒柱への進歩の軌跡は貴重な財産となり、ソフトボール界の未来を照らす希望のともしびにもなる。(ソフトボール女子日本代表監督)

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 宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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