ヤンキースを退団し売り込みに来た助っ人、不合格/あの頃のホークス

西日本スポーツ

 ◆あの頃のホークス

 阪神、西武の大砲だった田淵幸一監督の1年目となった1990年、福岡ダイエーは沖縄県読谷村でキャンプを張った。現時点ではホークスで唯一の沖縄春季キャンプ。前年、米ハワイ・カウアイ島で連日の雨に泣かされたこともあっての変更だったようだ。

 当時の沖縄は新たな「キャンプ銀座」として注目度を高めていた。そのため、県内の主要球場は他球団に押さえられていた。読谷の球場は米軍基地横の草原にポツンとあった。施設自体も貧弱。天気に恵まれたことが救いだった。

 キャンプは散々な状況だった。前年チームトップの12勝を挙げた加藤伸一が、2日目に古傷の右肩を痛めてリタイア。さらにメディアの目は、前年のドラフト会議でホークスから1位指名を受けながら巨人入りを熱望して入団を拒否した大阪・上宮高の元木大介(後に巨人入り)を巡る動きに集中していた。ダイエーの中内〓オーナーは西日本新聞の単独インタビューで「元木君を入団後に巨人へトレードに出すことができる」とドラフト制度の根幹を揺るがす発言をした。逆に言うと、こんなことを言えるほど当時のダイエーという企業は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

 そんなキャンプで一番元気だったのは田淵監督だ。現役時代にスターだった男がコーチ経験もなく指揮官に。練習後には自ら打席に立ち「他の打者はシュートを打つとみんなファウルになるけど、俺はホームランにできるんだよ」と実践してみせた。ある意味、当時は監督という仕事を心の底から楽しんでいた。

 しかし投打ともに軸となる選手がいないのは明白。シーズンではとにかくよく負けた。前年シーズン後半の追い上げで4位につけて90年に期待を持たせただけに失望した。

 実は米大リーグ通算307セーブ(当時)のリッチ・ゴセージが、読谷キャンプに来ていたことを覚えている方はどれくらいいるだろうか。ヤンキースを自由契約になった後「売り込み」に訪れ、ブルペンで投球を披露。この時、球団は当時3人の外国人枠が埋まっていることを理由に不合格としていた…。

 田淵監督はチームの不振を受け、中内オーナーに直訴してシーズン中盤にゴセージを獲得。そのゴセージは打たれまくったが、翌年にはメジャーに復帰し、その後米野球殿堂入りを果たした。(竹下元生)

※〓は工の右に刀

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