ジャマイカ人の父と日本人の母持つサッカー日本代表FW 幼少期の体験と社会への願い

西日本スポーツ 末継 智章

 当時J1のV・ファーレン長崎などで活躍したサッカー日本代表FW鈴木武蔵(ベルギー1部・ベールスホット)が初の自著「ムサシと武蔵」(徳間書店、税込み1650円)を出版した。ジャマイカ人の父と日本人の母の間に生まれ、人種や肌の色でいじめられた体験を告白。東京五輪を機に多様性が広がる社会の到来を期待した。 (聞き手・構成=末継智章)

 鈴木は6歳でジャマイカから日本に移住した。自著では小学校のときに肌の色の違いから同級生に「ハンバーグ」や「フライパン」と呼ばれるなど、いじめを受けてきた体験を告白。「ハーフ」であることへのコンプレックスをつづった。

 「今の年齢やキャリアを考えると本を出すのは早いと思っていたが、伝えたいことや経験、思いはこのタイミングでも伝えられると思って本を出そうと決意した」

 群馬・桐生第一高2年の2010年に初めて年代別代表に招集された。「人間は生い立ち、文化、肌の色が違っても、根本は同じなんだ」。当時のU-16(16歳以下)日本代表の吉武博文監督(大分県出身)の言葉に励まされた。

 「吉武さんは当時無名だった僕を見つけて代表に呼んでくれた。発見してくれなかったらプロになるのは不可能だったと思う」

 吉武監督からはDFの裏に抜ける特徴で勝負するよう助言を受けたが、教わったのはサッカーだけではない。自己主張することの大切さなども学んだ。時にはミーティングで映画を見て感想を発表する機会もあった。

 「当時は意図が分からなかったけど、今思えば考えを整理して発言する重要さを学んでいた。サッカー以外のことも教わったからこそ、当時のメンバーの多くが活躍しているんだと思う」

 吉武監督率いる年代別代表は翌11年にU-17(17歳以下)W杯でベスト8入り。鈴木や南野拓実(サウサンプトン)、中島翔哉(アルアイン)、植田直通(ニーム)ら多くの選手がリオデジャネイロ五輪経由でフル代表へと羽ばたいた。

 昨夏、ベルギーのクラブへ移籍した鈴木は欧州で生活するうちに日本との風土の違いを感じた。

 「欧州は他国が隣接しているので、東京から新潟ぐらいの距離を行けばもう別の国みたいな感覚。ここなら多様性は生まれる」

 鈴木は「多様性と調和」を大会のコンセプトに掲げる東京五輪が空気を変えるきっかけになると期待している。

 「全員が100パーセント多様性を重視するようになるとは思っていないけど、少しずつ変わっていけばそれで十分。五輪がいいターニングポイントになってほしい」

 本を通じて互いに認め合うことの大切さを訴える。

 「(自分と)同じ境遇の子だけでなく、自分を否定する瞬間は(誰しも)ある。そういった方々にも届けたい」

■長崎時代「濃い1年間」

 鈴木は自著の中でV・ファーレン長崎での出来事も語っている。特に思い出深かったのが高木琢也監督(当時)からの「焦っていたら絶対シュートは入らない」と「練習ではとにかくシュートを打て」という教えだ。

 「僕が焦っていたり、ネガティブな部分があったりすると声をかけてくれた。他の指導者とは切り口が違ったし、日本代表でアジアの大砲としてやってきた実績もあるので説得力があった」

 高木監督の教えはベルギーへ渡った直後に点が取れなかった際も心の支えになっている。クロスボールに合わせる動きも以前より得意になった。

 「クロスが上がる瞬間にDFがどこを見ているのか確認し、相手の背後に行くのか、前に行くのか見極めろと教わった。以前はそこまで考えていなかったが、今では強みになっている」

 長崎在籍時は五島列島の海を満喫。細くてこしのある五島うどんは「うどん史上一番うまい」とお気に入りになった。

 「1年間しかいなかったけど、濃い1年間でお世話になって好きな街だった。将来、何かしら還元したい」

 長崎市中心部に建設を予定し、2024年中の完成を目指す新スタジアムの構想は鈴木も在籍時にクラブから聞いた。

 「日本一のスタジアムになるのではないか。正直、めっちゃ楽しみで行ってみたい」

 来年のワールドカップ(W杯)カタール大会出場を目指すストライカーは、長崎での代表戦で“凱旋(がいせん)試合”が将来実現することも楽しみにしている。

   ◇    ◇

 ◆鈴木武蔵(すずき・むさし)1994年2月11日生まれの27歳。ジャマイカで生まれ、6歳で群馬県太田市に移住。桐生第一高3年時に全国高校選手権ベスト8に入り、卒業後にJ1新潟へ。2018年にJ1長崎へ完全移籍し、自己最多の11得点をマーク。19年のJ1札幌で13得点とキャリアハイを更新し、昨夏、ベルギー1部のベールスホットへ完全移籍した。年代別代表では11年のU-17(17歳以下)W杯や原則23歳以下で争った16年のリオデジャネイロ五輪に出場。19年にデビューしたフル代表では9試合で1得点。185センチ、75キロ。

 

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