福岡国際マラソン終了を惜しむ声 瀬古氏「私自身の歴史もなくなってしまう気がして…」

西日本スポーツ 伊藤 瀬里加

 陸上競技の発展に貢献したことが評価され、昨年には世界陸連から陸上の世界遺産とされる「ヘリテージプラーク」を日本のマラソンレースで初めて贈られた福岡国際マラソンが今年12月の第75回大会を最後に幕を閉じる。大会史の中で語り継がれる名勝負は、モスクワ五輪選考会だった1979年だろう。瀬古利彦氏が双子の宗茂、猛兄弟と競技場内までもつれ込む激しいデッドヒートの末に優勝。茂氏が2位、猛氏が3位と続いた。

 瀬古氏は5度の出場でもっとも印象深かったレースだと振り返る。40キロから一度は宗兄弟に置いていかれて「もう負けたな」と思いながらも粘って逆転優勝につなげた。

 「あきらめてはいけないという『マラソンの神髄』を覚えたこのレースの経験が、後にもずっとつながりました」

 現在、日本陸連強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダーを務める瀬古氏。「福岡国際マラソンに育ててもらったという自負もあるので、この大会がなくなってしまうと私自身の歴史もなくなってしまうような気がして、すごく寂しい」とコメントした。

 宗兄弟は「世界一を決める大会と思って臨んだ」と声をそろえる。2人は73年に福岡国際初出場。猛氏は7位、茂氏は18位だった。同年はショーター(米国)が3連覇を達成し、1~3位は全て外国人。「自分が40キロ地点でショーターの優勝を祝う花火が打ち上げられた。これが世界との差だと思った」。茂氏は当時の衝撃が忘れられない。

 5年後は瀬古氏、喜多秀喜氏、茂氏が当時世界トップレベルだったロジャース(米国)らを抑えて表彰台を独占した。「自分たちは福岡で世界との差を知り、世界に追いついたと感じた。今はいろんな大会があるが、自分たちの中では別格」

 猛氏は「東の東京(マラソン)、西の大阪(マラソン)と二極化するだろう」と理解を示しつつ、「時代の流れとはいえ、寂しい」と惜しんだ。

 地元で大会を支え続けてきた福岡陸上競技協会の八木雅夫専務理事は「残念のひと言」と無念の思いを口にした。日本陸上競技連盟の尾県貢専務理事は26日の会見で「地元福岡の多くの皆さまに支えられ、愛された大会」と語った一方、「大会を取り巻く情勢は年々厳しさを増していた」と苦渋の事情を明かした。 (伊藤瀬里加)

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