「逃げてはいけない」古賀稔彦さん次男・玄暉 父と同じ五輪金への道歩む覚悟の初V

西日本スポーツ 向吉 三郎

■全日本選抜体重別柔道

 もう逃げない。古賀玄が前に出続けた。竪山との決勝。最後は「勝負するしかない」と大技の肩車で10分14秒の激闘に決着をつけた。「何も恩返しできないまま亡くなったので。何としても優勝したかった」。インタビューで声を詰まらせた。

 同選手権で男子71キロ級を1987年から6連覇するなど7度の優勝を果たし、92年バルセロナ五輪で同級金メダルに輝いた父の稔彦さんが、大会を11日後に控えた3月24日に53歳の若さで死去した。さらに父の死の直前に左膝を痛めていた。

 兄の颯人(はやと)とともに父が設立した「古賀塾」で始めた柔道人生。世界ジュニア選手権を制するなど実績を残したが、シニアでは大きな結果を残せずにいた。今春、多くの五輪メダリストを生んだ旭化成に日体大から入社。今大会は2024年パリ五輪のスタートとなる大事な試合だった。ひつぎに「結果を出して恩返しします」とつづった手紙を入れ、膝の痛みをこらえてランニングで減量し、打ち込みも再開した。

 稔彦さんはバルセロナで左膝に大けがを負いながら金メダルを獲得。これまで試合の合間に必ず助言を送った父はもういないが「今まで以上に覚悟が強くなった」。初戦を絞め技、準決勝は大内刈りで一本勝ち。決勝でも先に内股で技ありを奪っても一本を狙った。

 昨秋の講道館杯は3位。「逃げた試合があった。ここで逃げてはいけない」。前に出た結果、相手に技ありのポイントを返されたが、延長に突入しても攻め続けた。

 日本男子代表の井上康生監督は「苦しいこと、つらいことに打ち勝てる心を証明した試合。ここがゴールではないと古賀先生も思っているはず」と高く評価し、世界選手権の代表に初選出した。

 「五輪金メダルという目標がある。そのために一つ一つの大会で優勝していきたい」。これからも父と同じ道を歩み続ける。 (向吉三郎)

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