「日本代表として五輪に出る」韓国から帰化した捕手が叶えた夢 選んだ女子ソフト監督の思い

西日本スポーツ

【ソフトボール女子日本代表・宇津木麗華監督コラム「麗しき夢」】

 東京五輪ソフトボール女子日本代表の宇津木麗華監督は、北京五輪以来となる金メダル獲得の期待を担う中で令和を迎えた。生まれ故郷の中国から昭和に来日。選手や指導者として平成を駆けた。

 一度は五輪から除外された期間の苦しさを知るからこそ、選手には日本代表として五輪で戦う意味や価値を問い続ける。「競技人生の集大成」と言い切る東京五輪への道のり。その思いを語った。

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 五輪での米国はチーム全体が一丸となる。団結心というより、塊(かたまり)といったイメージだ。五輪で勝ったら一生困らない生活を送れる。米国の選手は実業団に所属している日本の選手と違い、五輪で勝ってなんぼ。私も外国人だから分かる。打者のパワーやスピード、投手の球威や変化球の質は日本より上。上野由岐子と藤田倭(ともにビックカメラ高崎)が万全の状態で初めて対等に渡り合える。経験値も高い米国を倒すためには、個々の長所をチーム力としてどう反映させるのかが鍵になる。

 東京五輪に臨む代表選手は15人。捕手は2人を予想していた人が多かった。実際19人による強化合宿でも最後まで悩んだ末、私は3人にした。我妻悠香(ビックカメラ高崎)があくまでも主戦ながら、初めての五輪で年齢も26歳と若い。33歳の峰幸代(トヨタ自動車)は北京五輪など場数を踏んでおり、助言や右打者としての打力にも期待している。3人目は世界選手権にも出場したことがない29歳の清原奈侑(日立)を選出した。競技に人生を懸けている彼女を選ぶことが日本のプラスになると考えた。

 2020年の年明け、オーストラリア合宿でのことだ。「東京五輪への思い」という題で生い立ちや性格を交えて全員の前でスピーチをさせた。その時に清原は「日本代表として五輪に出るのが夢」と明かした。韓国籍だった京都西山高の時に、アンダーカテゴリーの代表選考会で日本国籍でないことを理由に参加できないと告げられたことが引っ掛かっていたそうだ。園田女子大時代は韓国から代表入りを打診されている。それでも「日本で代表になり、必ず日本の力になりたい」と祖母を説得し、日本国籍を取得したと聞いた。

 選んだのは、元中国籍の私と経緯が似ているからではない。「五輪に出たい」との強い意志に胸を打たれた。私の場合、日の丸を背負って五輪に出られる感触があった上での判断だった。清原は違う。選ばれるか分からない状況で夢をかなえようと決断した。19年の12月に峰を代表合宿に招集した時点で、自分が落とされると感じていたのではないか。それでも下を向かなかった。情熱的で誰よりも元気を出してきた。

 監督の次に試合でサインを出すのは捕手。いわば監督の戦術をグラウンドで表現する「第二の監督」だ。清原の斬新な発想にハッとさせられることもあり、一昨年のメキシコとの練習試合では当時高卒1年目の左腕、後藤希友(トヨタ自動車)を完璧にリードした。

 代表の発表会見で名前を読み上げた後、ネットで見た清原の表情は喜びが心の底からあふれた笑顔だった。先日は「おばあちゃんに報告しなさいよ」と伝えた。彼女の祖母は、ずっと応援してきた孫の晴れ姿を目にすることなく、亡くなった。「ありがとうございます。しっかりと報告します」。新緑の季節。揺るぎない覚悟は薫風に乗って、天国まで届いたことだろう。(ソフトボール女子日本代表監督)

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 宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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