肩の故障で苦しいリハビリの時期…迫田さおりに渡されるメニューは、なぜかいつも手書きだった

西日本スポーツ

◆バレーボール女子元日本代表・迫田さおりさんコラム「心の旅」

 好きな言葉は「心(こころ)」だという。バレーボール女子元日本代表のアタッカー、迫田さおりさんは華麗なバックアタックを武器に2012年ロンドン五輪での銅メダル獲得に貢献した。現役引退後は解説者などで活躍の場を広げる一方、新型コロナ禍が続く東京五輪イヤーの今年、スポーツの魅力を発信しようとペンを握った。

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 競泳の池江璃花子選手が病を乗り越えて、東京五輪代表をつかみ取りました。「努力は必ず報われる」―。すごい言葉です。結果を求めてしまう部分は、正直誰にでもあると思います。ただ、私は結果が出るまでの過程で何が起きて、誰と巡り合ったのかも大切にしたい。一人では乗り越えられない試練や困難に直面しても、支えてくれる人がいるから、考えられないような力を発揮することができます。けがをして学びました。

 右肩を痛めたのは2012年です。ロンドン五輪の後、1カ月ほどボールを触らない期間があり、急に打ちだしたのが原因でした。本来なら徐々に体をつくり直さないといけないのに、大事な部分を先延ばしにしてしまった。しっかり体と向き合うべきでした。肩が上がらず、洗髪だけでなく、歯磨きもつらかった。自分の髪の毛さえ洗えないようでは、バレーボールはできません。先が見えず、いつからプレーできるのだろう、と不安に陥りました。

 それでも東レに支えていただき、本拠地の滋賀から千葉の病院に通わせてもらいました。チーム専属ではないトレーナーの渋谷理恵さん(現Grefulパーソナルコンディショニングジムeightトレーナー)が医師と連携してリハビリメニューを作成してくれました。けがは骨挫傷で手術の可能性も、と言われていました。私は手術の経験がなく、注射すら嫌でした。2人は意向をくんで保存療法でプレーできる方法を考えてくれました。肩を痛めてしまった以上、負担がかからないようにフォームを変えないといけない。自分なりのイメージを伝えると、渋谷さんはどういうふうに鍛えたら競技の動きにつなげられるか、トレーニングとバレーを結びつけるというのを常に考えて、私が納得できるまで丁寧に説明してくれました。

 メニューはいつも手書きでした。パソコンを使わない理由を尋ねると、渋谷さんはほほ笑んで、こう言いました。「手で書いた方が温かみがあって、リオ(コートネーム)が頑張れるんじゃないかなって」。トレーニングはすぐに結果が出ません。根気が必要です。時には自分の弱さから、きつく当たってしまうこともありました。そんな私を大きな心で包んでくれました。そこまで寄り添ってくれる熱量がありがたく、今思えば恵まれていました。

 試合後の治療で「あの時のスパイク、良かったね」とお互いに一致するときがあるんです。「今のできたね」とか「次もできるようにしようよ」と一緒に喜びを分かち合い、小さな成功を積み上げながら、前へ前へと歩を進めました。

 けがをする前後でフォームが「違うよ」と周りから指摘されることはうれしいことでした。違っていないと、また故障につながってしまうからです。新しいフォームを身に付けるプロセスはゴールが見えず、一人では無理でした。トレーニングをやめたら、肩は上がらなくなる。信頼できる伴走者がそばにいてくれたからこそ、12年に肩を壊してから5年間もコートに立つことができました。肩だけではなく「心の可動域」も広げてくれたおかげです。(バレーボール女子元日本代表)

 ◆迫田さおり(さこだ・さおり)1987年12月18日生まれ。鹿児島市出身。小学3年で競技を始め、鹿児島西高(現明桜館高)から2006年に東レ入団。10年日本代表入り。12年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪出場。17年現役引退。身長175センチ。スポーツビズ所属。

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