車いすバスケット日本代表の平井美喜 3大会ぶりのパラ出場に向けた葛藤

西日本スポーツ 帖地 洸平

 東京パラリンピックの車いすバスケットボールで、3大会ぶり2度目の本戦出場を目指す女性がいる。熊本県天草市(旧本渡市)出身で立正大職員の平井美喜(39)。「代表入りを果たし、今度こそメダルを取りたい。支えてくれた人たちへの恩返しは、バスケで活躍するしかない」。大舞台に立つためのトレーニングの中、これまでの道のりと意気込みを聞いた。(帖地洸平)

07年に初代表

 平井は2歳の時、がんの手術で脊髄を傷め、車いす生活となった。音楽が好きで玉名女子高では吹奏楽部でピッコロを担当。海外で演奏するほどの実力だった。1年時に転機が訪れた。知人の「面白いよ」という勧めで車いすバスケの試合を観戦。車輪と車輪が激しく音を立ててぶつかるプレーに心を揺さぶられた。

 「スポーツは無理だと思い込んでいた自分の中で、何かが目を覚ましたような衝撃だった」

 高校卒業後、九州を拠点にする女子チーム「九州ドルフィン」に所属し、本格的にのめり込んだ。当時のチームには、2000年シドニーパラリンピックの銅メダリスト5人が在籍。平井はレベルの高い技術を目の当たりにした。

 当初は車いすを操るのも一苦労で、投げたボールもリングに届かない。しかし、持ち前の負けん気で厳しい練習を乗り越えて07年、初の代表入りを果たすと、翌08年の北京パラリンピックでは4位入賞の一員に。ただ、決勝トーナメントで一度もコートに立てず「先輩の後を追うのが精いっぱい。何も分からないままだった」。12年ロンドン大会、16年リオデジャネイロ大会はいずれも本大会に進めず、悔しい結果に終わった。

 「このまま諦めたくない。もっと強くなりたい。車いすバスケは私の人生そのものだから」。プラス思考で再び歩みを進めた16年4月、熊本地震に見舞われた。

震災乗り越え

 熊本市内の自宅は壁にひびが入り、断水も続いた。勤務先の福祉施設は被災者らの避難所となり、自身も泊まり込んでの対応に追われた。「こんな時にバスケなんて…」と、翌月に控えた強化合宿辞退も考えたが、職場の同僚の言葉が背中を押した。「人手も足りず誰もが疲れていた中で『頑張って』と送り出してくれた。現在の私があるのもこの人たちのおかげ。活躍してメダルを取ることが、感謝の気持ちを伝える一番の方法と思う」

 相手に当たり負けしないように、体幹を鍛え、ウエートトレに励んだ。強化指定選手として参加した都内での代表選考合宿も6日に終了。自国開催の大舞台に必ず立てると信じて、17日の代表発表を静かに待っている。

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