私の育ての親は…「居酒屋ばーす」メインメニューに込められた思い

西日本スポーツ 西口 憲一

【球音】

 ダイエーでのプロ生活は6年間だった。1軍でアーチを描けなかった山之内健一さんには忘れられない一本がある。「2年目か3年目か、小倉の特別支援学校から『遊びに来てください』と手紙をいただきました」。オフに子どもたちと一緒に給食を食べ、餅をついた。笑顔がまぶしく、翌年に北九州市の大谷球場であった2軍戦に招待。右越えの場外弾を放った。「お客さんが少ない分、子どもたちの歓声が聞こえて…。あんなにうれしいホームランはなかった」

 山之内さんは父の仕事の関係で、中学3年の冬に故郷の鹿児島・鹿屋を離れた。友人に別れのあいさつもできずに福岡へ。見知らぬ土地で高校は福岡第一に進んだ。「家が苦しかったので…。声を掛けていただいた第一で頑張って有名になる、と言い聞かせました。名前の『健一』の通りに健康でしたが、つらいことも多かった。あの時の子どもたちを自分に重ねていたのかも」。特待生だから野球部はやめられない。猛練習にも耐えた。父がセールで買ってくれた軟式用のグラブで硬式球を捕ると、手が腫れ上がった。妙な捕球音に気付いた高校の監督が、…

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