卒コンでそろったHKT宮脇、指原、兒玉「三枚看板」 これで前に進める

西日本新聞 古川 泰裕

Fの推しごと~2021年7月

 見覚えのあるショートカット。敬礼するその影。見間違いではない。ステージの中央には兒玉遥が立っていた。声が出せないはずの客席から、驚きと歓喜が上がる。

 動き出した車輪♬

 HKT48の代表曲「大人列車」。聞き慣れていたはずの、甘く舌足らずな歌い出しに心が震えた。

 6月19日、宮脇咲良の卒業コンサート。兒玉と指原莉乃がサプライズ出演したこの日は間違いなくグループにとって重要なマイルストーン(節目)となった。

 2人の出演を求めたのは宮脇自身という。兒玉には事務所を介して依頼した上で、直接LINE(ライン)でも「出てほしい」と訴えた。兒玉は即座に快諾した。コンサート当日は開演3時間前に会場入りして備えた。指原も当日に東京でテレビ収録を終えてから福岡へ飛び、コンサート前の円陣に参加、誰よりも早く涙を流した。

 1期生の中心としてグループをけん引した兒玉がHKTを卒業したのは、体調不良による活動休止が続いていた2019年6月。卒業コンサートはおろか、劇場公演にも戻れぬまま。功労者としては、あまりに寂し過ぎる別れだった。

 一部の誹謗(ひぼう)中傷で心に傷を負い、それでも一度はステージに復帰した兒玉の決断だ。私は背中を押すことしかできなかった。卒業後も、メンバーと交流を続ける様子は会員制交流サイト(SNS)などで垣間見えたが、それ以上は望むべくもなかった。

 HKTが右肩上がりに駆け上がっていた頃、指原と宮脇、兒玉の3人は押しも押されもせぬ象徴的存在だった。後輩たちもスポットライトを浴び、それはグループの層の厚さを示すものだったが、「三枚看板」の存在は別格だった。指原の卒業後は、その教えを引き継いだ1期生の先頭に、宮脇と兒玉が立つ。そんな未来を勝手に想像していた。

 19年4月、横浜スタジアムで開催された指原の卒業コンサートに、宮脇と兒玉の姿はなかった。かたや日韓合同グループ「IZ*ONE」専任、かたや活動休止。「最後くらいは…」。そう思ったところで、どうにもならない事情があった。約1カ月後、兒玉は卒業を発表した。

宮脇咲良(左)の卒業コンサートに登場した指原莉乃(中央)と兒玉遥

「悔いなく、これからも頑張れる」

 運営関係者によると、宮脇は卒業コンサートの曲目を決定する上で「今のHKT」を見せることに腐心したという。「三枚看板」を欠いた後のHKTを支えた田中美久松岡はなと歌い、同期である松岡菜摘本村碧唯の両キャプテンと肩を並べた。新エース・運上弘菜の頭をなでながら思いを託し、石橋颯ら若手と「制服のバンビ」を踊った。メンバー全員に新衣装を用意したことも、そうした思いからだったのだろう。

 卒業生を、特別な2人だけにしたのも同じ狙いだろう。その心配りは、長くファンの心の片隅に残っていた「心残り」を、涙で洗い流す瞬間につながった。

 「大人列車」も終盤に差し掛かり、宮脇と兒玉が手をつなぎながら階段を上る。2人の背中を追いつつ、ファインダー越しに1期生として歌い続けた「手をつなぎながら」の歌詞を思い出していた。

 ♬ぎゅっと手をつなぎながら

 道に迷わないように

 前へリードしてくれた

 同じ夢を持つ友よ

 いつか 汗や涙も

 光る思い出に変わる

 だから 頑張って行こう

 共に声掛け合って

 卒業をする日まで♬

 それはまぎれもなく、3年半の時を過ぎてようやく迎えた兒玉の「卒業式」だった。2人に迎えられるように、ステージ中央から指原が姿を現す。すれ違い続けた「三枚看板」が、肩を並べて笑っていた。

 「こうしてステージであいさつができて、悔いなく、これからも頑張れる」。顔をくしゃくしゃにした兒玉の姿を忘れることはないだろう。

 終演後、一人のファンがSNSでつぶやいた。

 「これで、やっと前に進める」

 5月15日にHKT復帰後、1カ月で卒業した宮脇。「短い」と感じるファンもいるだろうし、宮脇自身もそれを気に掛けていた。だが、ファンやメンバーが抱えたまま進むしかないと思っていた「心残り」を、10周年を前に昇華させることは、おそらく宮脇にしかできなかったことだ。

 終わりがあるから、始まりがある。前を向くための「さようなら」の大切さを、宮脇は改めて教えてくれた。(古川泰裕)

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