「代打野茂英雄」「レフト工藤公康」球宴30年ぶり犠打で脚光、1991年オールスターがカオスすぎた

西日本スポーツ 森 淳

 ◆マイナビオールスターゲーム第1戦 全パ4-5全セ(16日、メットライフドーム)

 同点の9回、原監督率いる全セは無死一、二塁から中村(ヤクルト)が送りバント。1死二、三塁となると、工藤監督率いる全パのベンチは当たっていた近本(阪神)を申告敬遠。球場がどよめいた一幕の後、結局2死から中野(阪神)が決勝の押し出し四球を選んだ。

 球宴での直近の犠打は1991年の第2戦(広島)。森祇晶監督(西武)率いる全パは、3-3の同点で迎えた延長10回表の攻撃で、無死一塁から伊東勤(西武)が投犠打。もっとも、得点には結びつかなかった。両軍とも勝ち越せず、試合は延長12回引き分けに終わった。

 この試合、1点ビハインドの7回裏に全セが追いついたことで、もつれにもつれて両軍とも選手が枯渇。延長12回表、全セは第1戦で先発した槙原寛己(巨人)が練習用ウェアを着て登板した。対する全パは秋山幸二(西武)が、顔面に自打球が直撃して負傷退場。全パは野手を使い切っており、森監督と全セを率いる藤田元司監督(巨人)、審判団が協議する事態となった。

 その間をトレーバー(近鉄)が球審を模したようなパフォーマンスでつなぐ。結局、全パは秋山の代打に野茂英雄(近鉄)を起用。オリックスのヘルメットを被って登場し、見逃し三振に倒れた(秋山が2ストライクを取られていたため記録上は秋山の三振)。当時の球宴はパ本拠地のみ指名打者制が採用されており、この試合はDHなし。12回裏、全パは代打野茂に代わって工藤公康(西武)が守備に就き、左翼に入った。2死から駒田徳広(巨人)の飛球が左翼へ飛んだものの、中堅に入っていた愛甲猛(ロッテ)がランニングキャッチし、工藤の守備機会はなかった。

 この試合に原辰徳(巨人)も5番左翼で先発している。球宴は翌92年から延長なし、9回打ち切りで行われることになった。

 なお敬遠はと言うと、直近は1998年の第2戦(千葉マリン=当時)。全セが1点を追う9回表に同点に追いつくと、その裏、全パは1死から初芝清(ロッテ)が二塁打。ここで野村克也監督率いる全セのベンチは高木大成(西武)を敬遠した。この時も勝ち越し点は入らず、9回引き分けに終わっている。(森 淳)

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