【悼む】ホークスと「西スポ」をつないだ安枝新悟さん 忘れ得ぬ教えの数々

西日本スポーツ 西口 憲一

 西日本新聞社で運動部長やスポーツ本部長を務めた安枝新悟さんが19日、闘病生活の末、56年の短すぎる生涯を終えた。伝統ある小倉高(福岡)の野球部で白球を追い、早大を経て1990年に入社。プロ野球を中心に取材した。ソフトバンク王貞治会長のダイエー監督時代、常に横にいた名物記者であり、TNCテレビ西日本の報道番組「福岡NEWSファイル CUBE(キューブ)」でコメンテーターも務めた。

   ◆   ◆

 ホークスと西日本スポーツをつないだ「大動脈」で、平成時代の西スポの看板を背負った。数え切れないスクープを報じた先輩ながら、周囲をこれほど仰天させるとは人が悪すぎる。訃報に接してからは、私の元には全国のメディア関係者から電話がひっきりなしにかかった。圧倒的な人脈と人望に驚かされるばかりで、個人的な思い出にはなかなか浸れなかった。

 98年からの6年余り、ホークス担当として同じ時間を過ごした。安枝さんの立場は5人いた取材班を束ねるキャップ。選手との付き合いに責任を持たせた。記事には「冷」と「熱」を求めた。「チームの関係者とはドロドロになるまで付き合っていい。『あまり近くなりすぎると何も書けなくなる』というのは怠慢記者の言い訳だからな。『あの人に書かれたら仕方がない』と言わせるまで仲良くなるんだ」。有無を言わせない迫力には続きがある。「選手に『絶対に嫌なことを書かない記者』と思われるのは、長い目で見ればマイナスだと覚えておけ」。20年以上たった今、永遠の課題だと受け止めている。

 昨夏に社を辞した安枝さんと会ったのは暮れも押し迫った12月末だった。少し頬がこけた顔で助言された。「おまえは、迷ったら1パーセントでも、どちらかに寄せて決断すべし、だぞ。また飲もうな!」。実現しないまま、慌ただしく天国へ旅立ってしまった。半年ぶりの再会がお別れのあいさつの日となった。仕事に復帰するつもりで新調したというスーツ。体重40キロ近くも痩せた身を包み、ひつぎの中で穏やかに眠っていた。

 年明けから原因不明の病に立ち向かいながら、もうろうとする意識の中でも西スポの未来を案じ、後輩記者たちを気に掛けていたそうだ。最後にいただいたラインは、こう結ばれていた。「大いに悩み、迷い、でも社内では何一つ悩みがないと見せるのが、俺の美意識だったかも。記者の『顔』が見える記事が読みたいなあ。頑張れよ!」。まぶしすぎる夏空が全ての労苦を覆い隠していた笑顔に思えて、読み返すと涙があふれてきた。(西口憲一)

PR

福岡ソフトバンクホークス アクセスランキング

PR

注目のテーマ