遅咲きの女王・浜田尚里 無名の存在から「最恐の寝技師」への転機

西日本スポーツ 伊藤 瀬里加

 ◆東京オリンピック(五輪)女子78キロ級(29日、東京・日本武道館)

 異色のスタイルで浜田が頂点に上り詰めた。マロンガ(フランス)との決勝。開始1分すぎ、腹ばいになろうとした相手を捉え、「絶対に逃がさない」と崩れ上四方固めで押さえ込んだ。2019年、同じ日本武道館で開催された世界選手権決勝で敗れた相手に雪辱。「今回は絶対負けない気持ちで闘った」と涙した。

 磨き上げた寝技で全4試合、オール一本勝ち。試合時間は合計でわずか7分42秒という圧勝だ。「寝技は自分を助けてくれる」。男女を通じて柔道で日本勢最年長金メダリストとなった30歳は得意技に感謝した。

 小学4年で柔道を始めたがエリート街道とは無縁だった。多くのトップ選手が幼少期から厳しい稽古を積む中、中学時代は「真剣にやっていなかった。きつかった思い出もない」。最初の転機は鹿児島南高入学後だ。当時監督だった吉村智之さんに「器用ではないが一つのことを始めたら徹底的にやる」と見抜かれ、努力で身に付くとされる寝技の稽古に打ち込んだ。

 得意技となった寝技を「必殺技」へと昇華させたのが山梨学院大時代だった。山部伸敏監督に「格闘家」と言わしめる激しい闘争本能。その強みを最大限に生かすため4年時の12年秋、柔道の要素があり寝技や関節技が中心の格闘技「サンボ」の習得を山部監督に勧められた。

 柔道の稽古を終えるとシューズを履きレスリング場に向かった。翌年3月には約1週間、本場ロシアへ。拠点だったスポーツ選手養成学校「サンボ70」(モスクワ)では柔道とサンボの道場を自由に往来した。「面白かった。無駄に行ったり来たりしていた」。独特の環境で身に付けた技術は異次元の境地に達した。「寝技、関節技が『うまい』選手はいるが、浜田は『怖い』。怖いと思わせる選手は見たことがない」と評する関係者も。学生時代は後輩が恐怖で稽古の相手を嫌がったこともあった。

 同世代の女子78キロ級には熊本・阿蘇(現阿蘇中央)高時代から際立つ強さで12年ロンドン五輪代表にもなった緒方亜香里が君臨していた。それでも、おっとりとした口調と同じように、自らのペースを乱さず着実に階段を上がってきた。所属する自衛隊の池田ひとみコーチに「絶対、世界選手権や五輪に出られる」と言い続けられ「だんだんその気になった」と振り返る。

 多くの人の手により豊かな才能を引き出された遅咲きの柔道家は「(柔道を)嫌になるほどやっていないかも…。今までつらいような経験はしていない」と、あっけらかんと笑う。「まだ技術はよくなる。もっと強くなれる」。栄冠をつかんでなお、限界は見えていない。(伊藤瀬里加)

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