侍ジャパン金メダルを導いた甲斐拓也 開幕前夜、天国のマネジャーから届いた“手紙”

西日本スポーツ 鎌田 真一郎

 ◆東京オリンピック(五輪)野球 決勝 日本2-0米国(7日、横浜)

 無観客の横浜スタジアムにかけ声が響き渡る。金メダルをつかみ取った24人の侍の手で、稲葉監督が5度宙を舞う。自国開催の五輪で正式競技となって初めて頂にたどり着いた。野球の母国を倒し、無傷での悲願成就。マスクでは隠れない目頭が熱くなった。

 「結束力」を掲げた指揮官は選手全員とハイタッチした。24番目が甲斐。待ち構えたかのようにがっちり抱き合った。2017年の代表監督就任以来、野手では唯一全ての試合に招集した絆。「ずっと選んでいただいている稲葉さんに、野球で恩返ししたかった」。稲葉ジャパンを知り尽くす男は喜びに浸った。

 正捕手として「今回が一番」と評された甲斐が、五輪を通じて終始存在感を示した。決勝では若手投手陣を好リードし、無失点リレーを完成。打ってもドミニカ共和国との初戦の同点セーフティースクイズ、米国との準々決勝のサヨナラ打と勝負強さが光った。

 初戦の前日、心を動かされる出来事があった。大分・楊志館高時代の監督だった宮

 日本の正捕手として、野球の金メダル獲得に貢献した甲斐拓也(ソフトバンク)=大分市出身=は「あっこさん」への思いも胸に自国開催の五輪を戦い抜いた。2008年に上咽頭がんのため17歳で亡くなった大崎耀子(あきこ)さん。大分・楊志館高の2学年上で、野球部のマネジャーだった。

   ◇   ◇

 ドミニカ共和国との初戦の前日だった7月27日。高校時代の監督だった宮地弘明さん(49)から3枚の画像が届いた。「みんなもっともっと頑張って!」「私は今までがんばってきました」「ありがとう」。闘病中に大崎さんがノートに記したメッセージだった。

 甲斐の3学年上の兄大樹さんは同校のエースとして夏の甲子園8強。大崎さんは裏方として初出場での快挙を支えた。甲斐の入学時には病気は末期まで進行しており、一緒に甲子園を目指した時間は長くなかったが、回復を願ってグラウンドの片隅に作られた花壇の前で何度も祈った。

 08年夏の大分大会を球場で見届けた大崎さんは、甲斐が新チームでレギュラーになった後の10月29日に世を去った。「17歳で自分の命を誰かのためにささげられる、そんな強い人がいるのかと。野球のため、誰かのために、という力がすごかった。あっこさんの存在は今に生きている」

 ソフトバンクで育成選手から球界を代表する選手になりながら、インターネット上での心ない中傷に「何がいけないのか」と悩んだ時期もある。今回は五輪で日の丸を背負う重圧とも闘った。その中で目を通した大崎さんのメッセージに「何を言われようが自分は自分」と心が定まった。

 米国との準々決勝ではサヨナラ打を放ち、年下が増えた投手陣も好リード。守備でも体を張った好プレーを連発した。17年の就任以来、全ての大会に招集した稲葉篤紀監督も「4年間で一番」と口にするほどの存在感を見せた。

 大崎さんが最後に記したというメッセージには「ありがとう」の5文字が記されていた。米国との再戦となった決勝で投手陣を引っ張り、無失点リレーを呼んだ。「(五輪期間は)苦しかったけど…本当にうれしいです」。金色のメダルが、天国の「あっこさん」への思いがこもった輝きを放った。(鎌田真一郎)

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