金メダルに結実した稲葉イズム 支えた常勝軍団の柱

西日本スポーツ 鎌田 真一郎

 ◆東京オリンピック(五輪)野球 決勝 日本2-0米国(7日、横浜)

 マスク越しでも極まった感情は伝わってきた。24人の選手たちがつくった歓喜の輪に、稲葉篤紀監督は目頭を何度も押さえた。「本当に一生懸命やってくれて、そういう思いが最後にぐっときた」。公開競技だった1984年ロサンゼルス五輪以来の金メダル。胴上げで今大会での勝利数と同じ5度、宙に舞った。

 2017年7月31日の就任会見。東京五輪への挑戦は、稲葉監督の「金メダルだけを目指す」という言葉から始まった。選手で出場した08年北京五輪は3位決定戦で米国に敗れ、メダルを逃した。「五輪の借りは五輪で返す」。この言葉も13年後に現実にした。

 就任から一貫して「結束力」を求めた。その柱は17年から4年連続日本一に輝き、広島と並ぶ最多4人が出場したソフトバンク勢。「私が掲げる『スピード&パワー』を具現化する中心選手」として期待した柳田悠岐は全試合にフル出場。大会直前に右脇腹を痛めると「大丈夫」という本人をなだめ、状態を毎日確認。本番で力を発揮させた。

 4月に左足首を痛めた千賀滉大に電話したのは、6月の内定メンバー発表の直前だった。「今回は(選べずに)ごめん」。そして「けが人や辞退者が出たときはお願いする」と言い添えた。意気に感じて「オリンピックには間に合います」と答えた右腕は追加招集に迷いなく応じ、米国との準々決勝、決勝で力投した。

 フル代表に初招集した25歳の栗原陵矢は「緊張しないかな」と気遣う一方で、米国との準々決勝でタイブレークの延長10回無死一、二塁で代打で初起用。1球で犠打を成功させた姿を「あれで選手がぐっと一つになった」とたたえた。

 就任から全ての代表戦に招集した甲斐拓也=大分市出身=は、今大会も攻守で活躍。唯一の途中出場だった米国との準々決勝ではサヨナラ打を放った。扇の要の「稲葉さんに野球で恩返しをしたい」という言葉は「結束力」の象徴だった。

 決勝は21歳でチーム最年少の村上宗隆(ヤクルト)=熊本市出身=が先制弾を放ち、23歳の森下暢仁(広島)=大分市出身=も好投。「一つも楽な試合はなかったが、勝ちたい、金メダルを取りたいという思いが結束してチームでいい試合ができた。本当にみんなでつかんだ勝利」。稲葉監督は胸を張った。57年ぶりとなる自国開催の五輪での挑戦は、横浜で最高の形で結実した。(鎌田真一郎)

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