悲願の金メダルまであと少し…ベンチで祈ったソフト宇津木監督 左手にあった指輪の意味

西日本スポーツ

 ◆13年越しの連覇 東京五輪ソフトボール決勝の真実【3】

 東京五輪でソフトボール日本代表は金メダルを獲得し、前回実施された2008年北京五輪から連覇を果たした。東京五輪を「競技人生の集大成」と位置づけ、全身全霊を注いだ宇津木麗華監督。永遠のライバル米国を破った決勝戦の舞台裏を記す。(全3回の3)

   ◇   ◇

 最後のシーンは正直、あまり覚えていない。テレビの中の私は、一塁側ベンチで両手を組んで祈りをささげているように見えたそうだ。2点リードで迎えた米国との決勝。上野由岐子(ビックカメラ高崎)を「リエントリー」で7回のマウンドに送った私の心境は「打てる策は全て打った」だった。人事を尽くした以上、あとは天命を待つだけ。選手に託すしかない。皆さんがご覧になったように、ただ祈るしかなかった。   

 私は今回の東京五輪で、手袋を使わなかった。左手の中指に「お守り」をはめていたからだ。今春、女子プロゴルファーとして活躍した岡本綾子さんから「五輪の時、これをお守り代わりに着けて」といただいた指輪。四角形で真ん中にダイヤがあり、周りは全て「金」だった。福島での開幕戦から横浜での決勝まで全6試合。一度も外さずに臨んだ。

 岡本さんは元ソフトボールの選手。実業団でのプレー経験もあり、競技への造詣も深い。元代表監督の宇津木妙子さんに紹介されて以来、妹のようにかわいがっていただいている。「世界のアヤコ」から学ぼうと、ゴルフのツアーでバッグを担いだこともある。代表監督への就任が決まった時は「どんな世界でも全員が味方だと思ったら大間違いだよ。味方は1人だけで、残り9人が足を引っ張ることもある」と逆境への覚悟も持つように助言された。

 忘れられない出来事がある。日立高崎(現ビックカメラ高崎)でプレーしていた1995年に日本国籍を取得した私は、祖国の中国に96年のアトランタ五輪への出場を認めてもらえず、ショックを受けた。そのことを知って、岡本さんは五輪の期間中に群馬県高崎市にある寮まで励ましに来てくれた。日本は4位。「自分がいたら絶対にメダルを取れたのに」。二重の悔しさを味わった私の肩を、岡本さんはぽんとたたいた。

 「そんなに考えても仕方がないよ。ニン(任彦麗=私の中国名)の好きなことをやりなさい。一つだけ」

 どちらかといえば「優等生」として振る舞ってきた私は、左耳にピアスの穴を開けた。自分でも思い切った行動を取ったな、と思う。五輪に出場できなかったことに触れなかった岡本さんの心遣いにも胸を打たれた。超一流が持つ“たくましさ”を手渡され、明日への一歩を踏み出せた。

 コロナ禍で五輪が1年延期となり「この状況で金メダルを取ったとしても心の底から喜べるのか」と何度も自問自答した。人命より尊いものはない。コロナと闘う知人から「あなたたちの姿を見て、私も頑張る。金メダルを見せてください」と連絡をもらった。ある意味、私の覚悟が定まった瞬間だった。苦しんでいる方々をソフトボールで元気づけたかった。それ以上でも、それ以下でもない。   

 上野と抱き合い、選手たちに胴上げされた決勝の後、岡本さんからメールが届いた。「ニン、おめでとう。よく頑張ったね」―。愛情のこもった文字が涙のスクリーンに映し出された。(ソフトボール女子日本代表監督)=おわり

 ◆東京五輪のソフトボール決勝 日本が1次リーグでサヨナラ負けした米国に2-0で勝利。北京五輪以来13年ぶり2度目の金メダルを獲得した。4回に渥美万奈(トヨタ自動車)の内野安打で先制。5回には藤田倭(ビックカメラ高崎)の適時打で加点した。先発の上野由岐子(ビックカメラ高崎)が2安打無失点と好投。6回に先頭打者の出塁を許すと、左腕の後藤希友(トヨタ自動車)を投入。内野陣の好守もあり、ピンチをしのいだ。7回は再登板した上野が無失点で締めくくった。

 ◆宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

※この記事は、西日本新聞で連載中のコラム「麗しき夢」の第47回として執筆されたものです。

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