金メダルにはしゃぐ侍・村上宗隆の姿に思い出した、4年前の涙

西日本スポーツ 前田 泰子

【記者コラム】

 金メダルをかけて子どものようにはしゃぐ村上宗隆(ヤクルト)の姿を見ながら、4年前の夏、九州学院高の主将として熊本大会の決勝で秀岳館に敗れ、涙を流していた姿を思い出した。

 その大会前「甲子園には悔しい思い出しかないんです」と村上は話してくれた。最後の夏、悔しさを晴らすために甲子園に行くんだと。高校時代の村上は実力はあったが、決して「全国区」とは言えなかった。世代を代表するのは高校通算111本塁打を放った早実の清宮幸太郎だった。村上は2015年夏に清宮と同じ「1年生の中軸」として甲子園に出場。清宮が2本塁打を放って4強進出に貢献したのに対し、村上は4打数無安打で初戦敗退に終わった。

 3年夏は「清宮一色」のフィーバー状態で、「怪物」清宮の話題で持ちきりだった。清宮と1年の頃から練習試合で対戦し、合同練習などで顔を合わせていた村上は仲が良かった。試合後よく、SNSを通じた2人のやりとりや、清宮に対する思いなどを報道陣から聞かれていた。自身も1年から4番を任され、通算52本塁打という超高校級の実力がある選手。なのに、清宮に関する質問に嫌な顔一つせず、2人の会話を明かしてくれていた。取材している私は、丁寧で気の利いた答えに感心すると同時に、何とも申し訳なく、もどかしい思いですらあった。

 甲子園に出られなかったこともあり、U18ワールドカップに臨む高校日本代表も最終選考で落選。その時点でモチベーションをプロ入りへ向けたのだという。「おまえが勝負するのは同じ年の選手じゃなかぞ。プロでは10歳以上も年上の第一線の選手に勝っていかないかんとぞ」。九州学院高の坂井宏安監督(当時)は村上に言って聞かせたという。

 同年代の中で大舞台で輝けなかった悔しさがプロでの飛躍の原動力なのだろうと思っていたが、村上の目線はさらにはるか上にあったのだった。悔しい夏の4年後、坂井監督の言葉通り村上は念願のジャパンのユニホームに袖を通し、年上の一流選手に囲まれながらスタメンを勝ち取って、決勝では金メダルを引き寄せる先制弾を放った。

 九州学院高には今、兄と同じく甲子園を目指している弟の慶太(2年)がいる。「どうやったらプロになれる?」。弟の質問への答えは「野球が好きで、どうやったらうまくなるか常に考えること。そして意味のある練習をすること」。きっと村上自身、プロ入り後も変わらずこの気持ちをずっと持ち続け、努力を重ねてきたのだろう。

 今、球児たちが2年ぶりの夏の甲子園で熱いプレーを見せている。その中には「未来の侍候補」たちもいる。聖地で躍動する姿を、ワクワクしながら見ている。(前田泰子)

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