見たかった笑顔 紹介したかった写真 東京五輪女子バレー代表・小幡真子

西日本スポーツ 西口 憲一

【記者コラム】

 五輪期間中の紙面で、記事とともに紹介したかった写真がある。バレーボール女子日本代表の小幡真子さん(JT)が、青空をバックに祖母と楽しそうに笑っている一枚だ。早すぎる1次リーグ敗退。相手のスパイクが目の前で弾み、小幡さんの「東京五輪」が終わった。

 写真の舞台は、熊本・天草諸島の大矢野島。私の母の実家がある。小幡さんの祖母、タミコさんは私の伯母にあたる。子どもの頃は夏休みになると、海に囲まれた天草の自然の中で過ごした。タミコさんは「よう来たねえ」と、福岡から遊びに来た私をひまわりのような笑顔で出迎え、お小遣いとお菓子をくれた。

 私にとって「いとこめい」の小幡さんは長崎・九州文化学園高、日体大、JTと強豪チームで力を付けながら、日本を代表するリベロへ成長した。親戚がいつしか取材対象となり、私も特別な思いで「東京五輪」を迎えた。リベロはスパイクやブロックができない守備専門のポジション。その役割に誇りを持つ小幡さんから聞いたことがある。「人のためにボールを上げ、喜び、悔しがる。他のポジションではできない。他では味わえない、私が一番輝ける場所」。身を投げ出してボールを拾うだけでなく、得点のたびに仲間に抱きつくなど喜びを全身で表す。

 整骨院を営む両親が共働きで、小幡さんは物心がついた頃からタミコさんと過ごすことが多かった。自宅前に広がる天草の海や畑に出掛ける祖母が大好きで、校歌を大声で聞かせたり、得意の逆立ちをしたりして喜ばせていた。人を笑顔にさせることがプレースタイルの原点でもあった。

 東京五輪での晴れ姿をタミコさんは楽しみにしていた。体調を崩したのが2020年春。孫のプレーを励みに病と向き合い、秋には佐賀での試合に足を運んだ。12月24日に88歳で息を引き取る直前、全日本選手権を初制覇して病床へ駆け付けた小幡さんが優勝メダルを見せると、タミコさんは人さし指で懸命に「1」を作りながら優しくほほ笑んだ。「いちばんになったねえ」が最後の言葉だった。

 今夏、目指してきた大舞台の「一番輝ける場所」では厳しい戦いが続いた。言葉にできない悔しさだろう。「私は誰かのためにプレーしている時が一番強い」。苦しかったコートで、きっと何度も自らを鼓舞したに違いない。心の整理が少しついたら、故郷の穏やかな海の前で、祖母と一緒に納まった、この写真のような笑顔を取り戻してほしい。いつかまた、誰かを笑顔にさせるために。(西口憲一)

 ◆小幡真子(こばた・まこ)1992年8月15日生まれ。熊本県上天草市出身。小学4年から競技を始める。高校2年からリベロ一筋。2015年にJT入り。Vリーグ1部の20~21年シーズンMVP。17年から女子日本代表。164センチ、55キロ。

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