パラアスリートの躍動、目に焼き付けて 運動部・林原弘

西日本新聞 林 原弘

 日本のパラスポーツにとって象徴的な場所が大分県別府市にある。1964年東京パラリンピックの日本選手団長を務めるなど「日本パラリンピックの父」と呼ばれる故中村裕(ゆたか)医師が同市に設立した社会福祉法人「太陽の家」。今回の東京大会では、同県の各自治体で採火された聖火を集約する集火式の会場となった。同法人の山下達夫理事長を昨年11月に取材した際、感慨を漏らしていたのはパラアスリートの環境向上だった。

 「最近はパラリンピックをライブで見られるようになった。スポンサーが付く選手も増えた。以前は考えられなかったことだ」

 確かに、私が10年ほど前にパラスポーツを取材していた際、学生以外の選手の所属は「〇〇県」が多かった。今はほとんどの選手に企業名が入る。陸上女子マラソン(視覚障害)の金メダル候補で三井住友海上に勤務している道下美里=福岡県太宰府市在住=は「企業に入ってパラスポーツをやるという目標ができたのはいいこと」と語る。

 64年東京大会当時のパラスポーツは、障害者が社会復帰への道筋を付けるためという色合いが強く、中村医師は「障害者を見せ物にするのか」との批判も受けた。再び舞台は東京へ。パラアスリートが、よりアスリートとして評価されるようになった大会は、1カ月ほど前の東京五輪開幕時より厳しいコロナ禍の状況で迎えた。パラアスリートは感染すれば重症化しやすいとされる呼吸器が弱い選手も多い。感染防止策は五輪を超える万全なものが求められ、選手も運営側も負担が大きい。

 東京五輪では多くの選手が開催への環境づくりに尽力した方への感謝を口にした。今回取材した多くのパラアスリートもそうだ。スポーツをできることが当たり前ではない中、選手たちはさまざまな人たちの思いやリスクを背負って躍動する。一人のアスリートとして、その姿を目に焼き付けてほしい。

 もう一つ、道下が語ったことで印象に残る言葉がある。「障害があっても頑張れる人はいるけど、頑張れない人もいる。それを心に留めて走りたい」。私もこの言葉を忘れずに熱戦を見つめたい。

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