「障害を負った意味が、この瞬間にあったのかな」パラアスリートの言葉の重み

西日本スポーツ 松田 達也

 東京パラリンピックは5日に幕を下ろした。日本選手団は、前回のリオデジャネイロ大会では届かなかった金メダルを13個獲得。銀、銅を含めメダル数は計51個と2004年アテネ大会の52個に次ぎ2番目に多かった。新型コロナウイルスの感染拡大による1年延期という困難を乗り越えて輝いた九州ゆかりの選手の言葉を振り返りながら、取材した13日間の大会を振り返った。

 大会を通じて際立った活躍を見せたのが競泳3種目でメダルを獲得した富田宇宙(日体大大学院)=熊本市出身=だった。中でも、男子400メートル自由形(視覚障害S11)で銀メダルに輝いた後の言葉は印象的だった。

 「障害を負って、自分の思い描いていた人生とはまったく違う道を歩むことになったけど、自分が障害を負った意味が、この瞬間にあったのかなと感じた」

 大会3日目の8月26日で、九州ゆかりの選手として最初のメダルだった。言葉から、パラアスリートとして生きていくことの覚悟が伝わってきた。

 バドミントンの男子シングルス(車いすWH2)で金、男子ダブルス(車いす)で銅に輝いた梶原大暉(日体大)=福岡市出身=も「事故に遭って良かったとは思わないが、遭っていなかったら会えていなかった人もたくさんいる。パラの世界も知らなかった」と話した。置かれた立場で努力することの大切さが伝わってきた。

 メダルを獲得しても、さらに高みを目指す姿勢を貫く選手も目立った。銅メダルを獲得した車いすラグビーで、日本代表を支えた乗松聖矢(SMBC日興証券)=熊本県荒尾市出身=は「この舞台でメダルを取る価値はかけがえがない」と言いながらも「金メダルを取れなかったという意味で、もっと成長しないといけないということをパラリンピックに教えてもらった」と言い切った。

 初出場で銅メダルに輝いた柔道男子66キロ級の瀬戸勇次郎(福岡教大)=福岡県糸島市出身=は「メダルを取ったのは最低限。君が代を聞きたかった」と振り返った。同じく初出場で車いすテニスの女子ダブルスで銅メダルを獲得した大谷桃子(かんぽ生命)=佐賀市在住=も「パラリンピックは過酷と聞いていたが、本当にそうだった。自分の体力、実力が足りないことを痛感した」と力を込めた。21歳の新鋭と26歳のヒロインは、3年後のパリ大会でも主役の一人として期待される。

 2013年に東京パラリンピックの開催が決まってから8年。周囲の支えに感謝しながら大舞台に立った選手の努力の過程には、結果だけではない価値もある。

 最後に紹介したいのは、2戦2敗だったテコンドー男子61キロ級の田中光哉(ブリストル・マイヤーズスクイブ)=福岡県久留米市出身=が涙を拭いながら語った一言。

 「自分はもっと強くなれると信じている」

 自分の可能性を信じ続けようとする決意の言葉が、心に刻まれた。(松田達也)

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