なぜ松坂大輔は投げられなくなったのか 決断の内幕と引退登板の意味

西日本スポーツ 小畑 大悟

 ◆西武2-6日本ハム(19日、メットライフドーム)

 「平成の怪物」がついにラスト登板-。今季限りで現役を引退する西武の松坂大輔投手(41)が19日、日本ハム戦(メットライフドーム)で引退登板に臨んだ。先発して神奈川・横浜高の後輩、1番近藤に5球を投じて四球。最速118キロでマウンドに別れを告げた。試合前の引退会見では決断に至る経緯を説明し、家族の話題に涙を拭った。高校で甲子園春夏連覇を飾り、23年間のプロ生活で日米通算170勝。「松坂世代」の先頭で一時代を築いた剛腕にファンから大きな拍手が送られた。 

   ◇   ◇

 背番号を「16」からプロデビュー時の「18」に変えて最後のマウンドに臨んだ。当時と同じ代名詞のワインドアップ。松坂はしびれのある右腕を懸命に振り、近藤に5球を投じた。最速は118キロ。5球目の116キロが内角に外れて四球となり、日米通算377試合目の登板は終わった。

 「本当は投げたくなかった。これ以上駄目な姿は見せてはいけないと思ったけど、ユニホーム姿でマウンドに立つ松坂大輔を見たいと言ってくれる人がいた。最後の最後、全部をさらけ出して見てもらおうと思った」

 150キロ台中盤の剛速球と鋭いスライダーを軸に1999年のデビューから3年連続最多勝。ダイエー(現ソフトバンク)の前に何度も立ちふさがった剛腕を、昨春に右手のしびれが襲った。コロナ禍で開幕が延期されると症状は悪化。「首の痛みやしびれで寝られない日が続いて、精神的にも参ってしまった」。7月には手術を受けた。

 今春はB班(2軍)キャンプに参加。実戦復帰も見えてきた4月下旬のことだった。ブルペン投球で右打者の頭の方に球が抜けた。「とんでもない抜け方。その1球で球を投げるのが怖くなった。そんな経験はなかった。これはもう無理だな。辞めなければいけないと思った」。7月7日に球団が引退を発表した。

 「(現役時代の)半分以上は故障との闘い。最初の10年があったからここまでやらせてもらえた」。レッドソックス時代の2008年。遠征先のオークランドでロッカーからブルペンに向かう際に足を滑らせ、右手でとっさにポールのようなものをつかんだ。

 「今でも忘れない。そのときに肩を痛めた。オフからいつもの状態ではないと思い始め、そこからは維持するのに必死だった」。痛みの少ない投げ方を探り、フォームも崩れた。理想の投球スタイルからも遠ざかった。

 この日投じた5球は全て110キロ台。「本来ならマウンドに立つ資格はない。応援してくれた人への感謝と自分自身へのけじめをつけようと思った。『まだ投げてほしい』という方の声にはもう応えられない。投げることで報告できたのかな」と振り返った。

 日米通算170勝をマークした23年間の現役生活。「一番いい思いとどん底を同じぐらい経験した選手は(他に)いないんじゃないですか。(野球が)好きなまま終われて良かった」。試合後、グラウンドを1周し、プレートを右手で触ると、涙がこみ上げた。仲間の手で5度宙に舞った令和3年10月19日。「平成の怪物」の物語が幕を閉じた。(小畑大悟)

 ◆松坂大輔(まつざか・だいすけ)1980年9月13日生まれ。東京都出身。神奈川・横浜高3年時に甲子園春夏連覇を果たし、夏の決勝でノーヒットノーランを達成。99年にドラフト1位で西武に入団し、新人王を獲得した同年以降3年連続最多勝。米大リーグのレッドソックスに移籍した2007年は日本人選手では初のワールドシリーズ勝利投手となり、世界一に貢献。11年に右肘手術を受け、メッツを経て15年にソフトバンクで日本球界に復帰。18年から中日でプレーし、20年に再び西武に戻った。通算成績は日本で219試合に登板して114勝65敗1セーブ、防御率3.04。沢村賞1度、最多勝3度、最優秀防御率2度、最多奪三振4度。大リーグでは158試合、56勝43敗1セーブ、防御率4.45。日本代表では06、09年のWBCでMVPを受賞し、連覇に貢献した。182センチ、92キロ。右投げ右打ち。

PR

埼玉西武ライオンズ アクセスランキング

PR

注目のテーマ

福岡ソフトバンクホークス アクセスランキング