松坂大輔と和田毅の絆「写真いいですか」あの夏の声とメールの絵文字

西日本スポーツ

 プロデビューした西武の18番を背負った「憧れの同級生」のラスト登板を、和田は脳裏に焼き付けた。「きょうの大輔の姿には、23年間その時々のチームを投げ抜いてきた彼の美学を感じましたし、やはり背番号18が似合うなと思って見ていました」。自宅のテレビにくぎ付けとなった。

 「松坂世代」の先頭を走った右腕に「歩んできた道の険しさや、背負ってきたものの大きさが全然違う」と敬意を表する。初対面は島根・浜田高3年夏の甲子園。開会式直前に同年の選抜大会を制した神奈川・横浜高のエースに「写真いいですか?」と頼んだ。

 早大からダイエーに入団した2003年のアテネ五輪予選で距離が縮まった。初の投げ合いは04年4月16日。いずれも完投し、0-1で松坂が制した。初めて投げ勝ったのは05年4月22日。和田は8回無失点、松坂は9回2失点だった。

 投げ勝った試合の後。松坂から「ナイスピー。次は負けないぞ」とメールが届いた。文の後にパンチの絵文字。「相当悔しいはずなのに、そういうことができるのは人間的にすごいと思った」。ライバルであると同時に良き友人だった。

 米大リーグではともに肘の手術を経験。「それだけチームのために投げてきたよな」。ニューヨークで食事した際の言葉が耳に残る。だからこそ「大輔から引退の報告を受けた時は寂しい気持ちと同時に、決断をしないといけないほど体の状態が悪くなってしまったんだなと感じた」という。

 松坂の引退で、同学年の現役選手は和田だけとなった。「憧れの同級生と過ごすことができた日々はかけがえのない宝物。大輔から受けたバトンは本当に重たいですが、松坂世代みんなの思いが詰まっていると思う。託されたものに恥じない姿でいられるよう、燃え尽きるまで頑張りたい」。日米通算148勝の左腕は完全燃焼を誓った。

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