工藤監督が辞任を決意した日「チームが再スタートする意味でも」

西日本スポーツ 鎌田 真一郎

 ホークスは常勝たれ! 在任7年で5度の日本一に導いたソフトバンクの工藤公康監督(58)が27日、福岡市のペイペイドーム内で退任会見を行った。工藤政権では初、チームとしても8年ぶりのBクラスで終えたことで「敗戦の責は将が負う」と辞任を決意。頂点に立つ喜びと苦しみを知る名将は「常に勝ち続けられるように」と生まれ変わろうとするホークスに最後のメッセージを伝えた。

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 重責から解放された工藤監督はすがすがしかった。「幸せな7年間を過ごすことができ、野球人としてたくさんの方に支えていただき、心から感謝申し上げます」。明るく元気に、野球は楽しく真剣に。モットー通り、冒頭のあいさつから質疑応答までハキハキとよどみなかった。

 支えられた人について問われると、いろんな顔が頭に浮かんだ。「僕にとっては選手がすべて」。そう切り出すと、感謝の言葉は球団関係者から、球場の警備員、グラウンドキーパー、食堂のスタッフにまで向けられた。「監督になり、そういう方たちがいてこそのホークスとあらためて感じた」。常勝軍団を陰ながら支えてくれた人々にも謝意を伝えた。

 在任中に3度のリーグ制覇とパ・リーグ史上初の4年連続を含む5度の日本一と華々しい栄光を刻んだ。勝利にこだわり続けたからこそ、引き際も潔かった。「敗戦の責は将が負うものだというのが僕自身あった。チームが再スタートする意味でも、そこは責任を持って(辞任)するべきだと思った」。度重なる続投要請を固辞し、最終的な決断を下したのは10月初旬。就任後では初の8連敗を喫している期間だった。

 実働29年の現役生活の経験から、チームの勝利とともに、それぞれの選手生命が少しでも延びるように心掛けてきた。「3年先、5年先に苦しい練習を耐えて良かった、あれをやったからこそ、第一線で活躍できていると思ってもらえるように」。メニューの過酷さから「工藤塾」とも称されたが、通算224勝を誇る球史に残る左腕にとっての現役時のスタンダードを選手たちに求めた。

 1995年に加入したダイエーに5年在籍し、99年の福岡移転後初優勝の熱狂の真ん中にいた。「99年は変えがたい感動と達成感を味わわせていただいた。ファンの皆さんに受けた恩を、少しでも返せるよう精いっぱいやってきた」。王会長から要請を受け、監督として過ごした7年は「恩返し」の時間でもあった。濃密だった福岡での計12年間。「福岡が僕にとって故郷と言ってもいい」。そう口にしていた。

 常勝軍団の使命は誰よりも、痛いほど感じてきた。「プレッシャーも、耐えないといけないところも、苦しい中で試合をやり続けないといけないところもあるけど、必ず勝った時の喜びが帳消しにしてくれる。常に勝ち続けられるように、一人一人が信念とか、たくさんの人の思いを背負って戦い続けてほしい」。変わらず強いホークスでいてほしい-。勝つことだけを目指してきた名将からのラストメッセージも、勝利へのこだわりだった。(鎌田真一郎)

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 ◆工藤公康(くどう・きみやす)1963年5月5日生まれ。愛知県出身。名古屋電気高(現愛工大名電高)から82年に西武入団。球界を代表する左腕として西武、ダイエー、巨人などで活躍した。2011年に現役引退を表明。通算成績は224勝142敗3セーブ。日本シリーズには選手として14度出場。最優秀選手2度、最優秀防御率4度、最多奪三振2度など、多くの個人タイトルを獲得。15年にソフトバンクの監督に就任。正力松太郎賞に5度(選手で1度、監督で4度)輝く。左投げ左打ち。176センチ、88キロ。

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