【記者コラム】大分トリニータJ2降格の原因と、克服すべき課題

西日本スポーツ 末継 智章

〈現場で見た〉

 ◆明治安田生命J1第36節 鹿島0-0大分(20日、カシマスタジアム)

 J1大分トリニータの3度目のJ2降格が決まった。鹿島と0‐0で引き分けて勝ち点29となり、残り2試合でJ1残留圏内の16位に入る可能性が消えた。J3だった2016年から率いる片野坂監督の下で昇格初年度の19年には9位に入るなどJ1に旋風を巻き起こしたが、今季は戦力の流出にも苦しみ、昇格3年目で力尽きた。8位のアビスパ福岡は柏に引き分け、勝ち点52で開幕当初に目標としていた10位以内を確定させた。7位のサガン鳥栖は札幌に1-0で勝って同59にした。

   ◇   ◇

 試合終了の笛と同時に大分イレブンが膝から崩れ落ちた。下田や伊佐の目からは涙がこぼれる。今季J1最少得点のチームを象徴する戦いで降格が決まった。「選手は諦めずに最後まで戦った。私の責任」。片野坂監督は声を詰まらせた。

 片野坂監督が就任した2016年から全員が連動してパスをつないで崩す戦い方を構築。自陣から攻撃を組み立てることで相手の守備を崩し、数的優位をつくってきた。だが、今季は体を張って守った後のパスに精度を欠いた。この日のシュート数は2。「実力不足」。渡辺がつぶやいた。

 監督とフロントが口をそろえた降格の原因が主力の流出だ。コロナ禍の影響で昨年度11期ぶりの赤字に陥ると、守備の要だった鈴木義宜が昨季終了後にJ1清水へ、下部組織出身の岩田智輝もJ1横浜Mへ移籍。09年の経営危機を受けて健全化を掲げてきたクラブには、選手の慰留や大胆な補強をする余裕が財務的にも心理的にもなかった。

 大分は08年にシャムスカ監督の下でヤマザキナビスコ・カップ(現YBCルヴァン・カップ)を制し、九州に初めてJリーグのタイトルをもたらした。初めてJ2降格が決まった09年はシャムスカ監督の5季目。J3降格となった15年は田坂和昭監督(現J2栃木監督)の5季目だった。いずれも確固たる戦術で大分を躍進させたが、長期政権がチームの停滞やマンネリを生み、けがや資金不足で戦力が厳しくなると戦術にほころびが出た。

 6季目の片野坂監督は9月以降の9試合に3勝3分け3敗と持ち直したが、コロナ禍で2クラブだった自動降格が4クラブに増えたことも響いた。榎徹社長は「彼じゃなければ(J1昇格は)できなかった」とかばった。片野坂監督は今季限りで監督退任が確実なだけに、今後は指揮官に依存せず、フロントが安定的に戦力を供給できる体制を目指す必要がある。

 クラブはかつて多くの日本代表を輩出した下部組織の強化を進める方針。鳥栖にお株を奪われている育成クラブの復権も、J1定着には欠かせない。(末継智章)

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