引退する金メダリストへ宇津木麗華さんが贈った言葉

西日本スポーツ

【ソフトボール日本代表・宇津木麗華監督コラム「麗しき夢」】

 東京五輪でソフトボール日本代表を13年ぶりの金メダルに導いた宇津木麗華監督。「夢であり人生」と語る競技への思いをつづった。

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 私には昔から五輪で優勝を決めたら、ぜひやりたいことがあった。ダイヤモンドを一周して、ヘッドスライディングで滑り込む|。プロ野球選手が雨天中止の際、ファンサービスでよくやるパフォーマンスだ。現役選手だった2000年シドニー五輪の米国との決勝で本塁打を放ったときは、キスをした手でホームベースに触れただけだった。日本代表を率いた東京では全身で喜びを表したかった。

 みんなと抱き合い、天に拳を思い切り突き上げる姿まで想像した。いい年をして、と笑われても構わない。16年11月に2度目の代表監督に就任して以来、何度も脳裏に描くことで不安を打ち消そうとしていた。

 今回の五輪決勝も予想通りに米国と相まみえた。いざ、金メダルまで「あとアウト三つ」までこぎ着けると、ヘッドスライディングのことはどうでもよくなった。58歳のささやかな夢を吹き飛ばすような現実。「リエントリー」でマウンドを託した上野由岐子を直視できず、ベンチで座って祈るしかなかった。人事を尽くした以上、天命を待つのが「最後の策」だった。

 優勝できていなかったら今頃は何をしているんだろう。ふと、頭に思い浮かべることがある。五輪から5カ月がたとうとしても、よく夢でうなされる。木の下を歩いていると、突然毛虫が落ちてきたり、苦手なヘビが足元にいたり…。そうかと思えば、穴に落ちてしまうこともあった。そこでハッと目が覚めて、「優勝して良かった」と心から安心する自分がいる。潜在意識の中では、今も「東京五輪」を戦っているのかもしれない。ソフトボールとともに生きている限り、勝負は永遠に続いていく。

 われを忘れて喜びに浸れるのは、勝った瞬間からの7秒ぐらいだろうか。次の戦いがすぐに頭に浮かぶのは現役時代から変わらない。来秋のアジア大会まで続投する代表監督に加えて、今秋からビックカメラ高崎の部長も務めている。シーズン後の各選手との面談は去就などデリケートな話題にも及ぶ。心配事や葛藤が尽きることはない。

 東京五輪に出場したビックカメラ高崎の選手では、森さやかと山本優がユニホームを脱ぐことになった。2人は33歳。チームのサブマネジャーに転身する森は外国人キラーとして活躍した。「会話ができます」と公言する猫好きで誰からも慕われ、愛される性格。若手の頼れる“お姉さん”になってくれるはずだ。

 五輪で2本塁打を放った山本は郷里の北海道で後進を育てる。右肩を痛めた11年に一度現役を退いた理由は「親からもらった体にメスを入れたくない」だった。それでも情熱は消えず、最終的に手術とリハビリを経て現役に復帰。チームでは太陽誘電から加入した藤田倭が溶け込みやすいように心を配ってくれた。代表の主砲を長く務めた強さだけでなく、名前のような優しさも兼ね備えていた。北の大地でもたくましく根を張ってくれることだろう。(ソフトボール女子日本代表監督)

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 宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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