J2降格決定も天皇杯決勝進出 J大分の歩み

西日本スポーツ

 波瀾(はらん)万丈トリニータ劇場

 昇格請負人現る編(1999~2003年)J2初年度の99年から参戦。2年連続して勝ち点1差でJ1昇格を逃した。01年は開幕からの不振でシーズン途中に小林伸二監督が就任。同年は6位に終わったが、02年に首位を独走して悲願のJ1昇格を果たし、03年はJ1で年間14位だった。小林監督は後に山形、徳島、清水をJ1に上げ、昇格請負人と言われた。

 ブラジルから来た魔法使い編(04~09年)05年途中からブラジル国籍のシャムスカ監督が就任。降格の危機にあったチームを11位でフィニッシュさせると翌年は8位と躍進させ、08年についにヤマザキナビスコ・カップ(現YBCルヴァン・カップ)を制覇。リーグ戦も4位に押し上げたその采配は「マジック」と言われた。

 一方で09年は前年のひずみが出るような形で、経営危機が表面化。チームも波に乗りきれずJ2降格が決まった。

 大逆転のタサッカー編(10年~15年)11年に就任した田坂和昭監督は走り勝つサッカーをスローガンに12年に6位となり、J1昇格プレーオフに進出。3位京都、5位千葉を連破して昇格を決めた。経営危機の際にリーグから融資された5億円は3億円を市民からの寄付や地元財界、行政からの支援金でまかなうなどして完済。J1昇格の資格を得た。

 J1で戦った13年はわずか2勝に終わって最下位で降格決定。14年は7位で昇格を逃し、J2優勝を掲げた15年は開幕からの不振を立て直すことができずに21位でJ3に降格した。

 

 激動のカタノサッカー編

 2016年 九州唯一のJタイトルを持ちながらJ3に沈んだチームの再建は片野坂知宏監督に託された。大分で現役を引退し、西野、長谷川、ペトロビッチ、森保とJ屈指の監督たちからコーチとして薫陶を受けた片野坂監督は、GKから細かくつないでゴールに迫る戦術を目指した。その浸透に時間がかかりリーグ序盤は苦しんだが、最後は5連勝。J3優勝でJ2昇格を果たした。

 17年 開幕戦で福岡、その後、湘南、名古屋と前年J1クラブを次々に破り一時はJ1昇格プレーオフ争いに食い込む健闘を見せて9位。

 18年 3年目を迎えた片野坂戦術が完全に浸透。序盤から首位を走った。途中7位まで順位を下げることはあったものの、終盤の5連勝などで巻き返し2位。J3降格からわずか3年でJ1に返り咲いた。

 19年 開幕戦で鹿島を撃破。第4節には横浜Mを破るなどし、第6節から7戦不敗。「カタノサッカー」はJ1に旋風を巻き起こし、9位で堂々の残留。関係者の降格予想を覆した。

 20年 序盤に5連敗するなどしたが、立て直しに成功。中盤以降も安定した戦いを見せ11位でJ1残留を決めた。

 21年 「カタノサッカー」の根幹だったDFの鈴木や岩田らが移籍。主力の流出で再び戦術の浸透を迫られ、前年のコロナ禍による赤字で補強もままならなかった。第5節から7連敗。終盤も勝ち点を積み上げることができずに2戦を残してJ2降格が決まった。だが、天皇杯で快進撃を演じる。初戦でJFLのホンダロック、4回戦でJ2群馬を延長戦で破るなど苦しみながらも勝ち上がり、準々決勝で来季J1に昇格する磐田に2-0で快勝。準決勝はJ1王者の川崎をPK戦で劇的に制した。

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