小嶺監督「最期までグラウンドに立ち続けたい」、親族が振り返った亡くなる直前の様子

西日本スポーツ 松田 達也

 長崎・国見高サッカー部を率いて全国高校選手権を6度制した元監督で、7日に肝不全のため76歳で死去した小嶺忠敏さんの葬儀・告別式が9日、長崎県南島原市内の斎場で営まれ、サッカー関係者ら約1500人が参列し、別れを惜しんだ。日本サッカー協会の田嶋幸三会長も参列し、弔辞を読んだ。監督として長崎総合科学大付高を今冬の全国高校選手権に導いた小嶺さん。亡くなる直前まで「生徒の待つ東京に行きたい」とグラウンドに立つことを望んでいたという。

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 小嶺さんが亡くなる直前の様子を、葬儀でのあいさつで長女ゆりさんが声を詰まらせながら振り返った。

 「父の帰りたい場所は生徒たちがいるサッカーグラウンドでした。『俺は最期までグラウンドに立ち続けたい』と言っていました」

 高校サッカーの指導者として最大の目標としてきた全国高校選手権。長崎総合科学大付高の監督として、節目となる今冬の100回大会の出場権を勝ち取ったが昨年12月から体調を崩し、首都圏に滞在するチームと行動を共にすることはできなかった。

 「父は『病院を退院する。生徒の待つ東京に行きたい』と何度も訴え続けました」

 地元の長崎で病床に伏す小嶺さんの思いに応えようと、チームは初戦と2回戦に勝利したが、2日の3回戦で敗れた。その結果を見届けたように、小嶺さんは7日に旅立った。

 選手たちにありったけの情熱を注いできた小嶺さんに別れのあいさつをするため、葬儀には教え子ら約1500人が足を運んだ。ゆりさんは、小嶺さんの76年の生涯をサッカーの試合に例えた。

 「父のサッカー人生は島原商業高校が前半戦、国見高校が後半戦。まだまだ勝負は終わらず、延長戦の長崎総合科学大付高校。たくさんのご縁と出会いに恵まれ、皆さまに囲まれて過ごした日々は、父の人生の宝物です。最後までたくさんの教え子たちに囲まれ、本当に幸せなサッカー人生でした。心から感謝を申し上げます」

 国見高で指導を受け、長崎で監督を務めた高木琢也氏(現J3相模原監督)は「教え子は『小嶺ファミリー』という縦のつながりがある。先生の教えや情熱を引き継いでいかないといけないと、あらためて感じた」と話した。日本サッカー界に残した偉大な足跡は、その心意気を知るまな弟子たちがつなぐ。(松田達也)

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