ホークス一筋・藤原満さん聞き書き「ぶれない」⑧ブレーザーさんの野球理論

西日本スポーツ 野口 智弘

 ソフトバンクの前身である南海で一時代を築いたプレーヤーがいた。ガッツあふれるプレーでファンを魅了した藤原満さん(75)=西日本スポーツ評論家=だ。一昨年に亡くなった野村克也監督の下でチームプレーに徹し、低迷するホークスの中でいぶし銀の活躍を見せた。太いグリップが特徴の「ツチノコバット」を短く持って安打を量産したレジェンドの半生を聞き書き「ぶれない」でお届けする。

   ◇   ◇

 ルーキーイヤーだった1969年、南海は戦後初めて最下位に沈み、飯田徳治監督はわずか1年で辞任しました。代わって監督に就任したのが34歳だった野村克也さん。最初は断ったそうですが、現役続行とドン・ブレイザーさんをヘッドコーチに据えることを条件に引き受けます。

 ブレイザーさんはメジャー12年間で1366安打を放ち、オールスターにも選ばれた名二塁手。当時来日した外国人選手の中では、飛び抜けた実績を引っ提げて67年に南海に入団します。基本に忠実なプレーは日本人選手のお手本になりましたが、なんといっても米国の野球理論を日本球界に惜しげもなく伝授したことが最大の功績でしょう。

 その理論が「シンキング・ベースボール」。「パーセンテージ野球」ともいわれ、頭を使って確率の高い野球をしようということです。それまでの日本の野球は、単純に「投げて、打つ」という力勝負と、それを支える「精神野球」でした。

 一方、ブレイザーさんが教えた野球理論は、相手の癖や傾向などの情報を集めて分析し、相手が嫌がる確率の高い野球をしようというものでした。相手バッテリーの配球を分析して狙い球を絞り、走者を進めるために徹底して右打ちをさせるなど、チームプレーを重視した理論です。

 たとえば、無死一塁でセカンドゴロを打ったとします。以前なら「凡打だった」で終わるプレーなのに、ブレイザーさんは「OK、グッド! 得点圏に走者を進めた」と褒めてくれました。今ではどの球団も当たり前に実行していますが、当時としては革命的な野球理論だったのです。

 もともと情報を重視していた野村監督はブレイザーさんと出会い、その理論をさらに深めます。そして、チームに貢献したプレーをポイントにして、考課表に加点するシステムもつくりました。野村監督が私に言った言葉が忘れられません。「これからはホームランバッターや大投手でなくても、おまえのような選手でも1000万円プレーヤーになれるぞ」。野村監督は私に「つなぎ役」になることを諭してくれたのです。

 しかし、結果を残せませんでした。1軍と2軍を行ったり来たり。4年目には右ふくらはぎの肉離れで、出場はわずか29試合。正直クビを覚悟しました。

 そうそう、そのころ私に「チャイ」というあだ名がつけられました。世界チャンピオンにも輝き、日本人ボクサーとよく対戦していたチャチャイ・チオノイ(タイ)に顔が似ていたからだそうです。名付け親はコーチだった岡本伊三美さん。現役時代は後輩からもずっと「チャイさん」と呼ばれるようになります。(聞き手・野口智弘)

PR

福岡ソフトバンクホークス アクセスランキング

PR

注目のテーマ