チームは家族…宇津木麗華さんが忘れない亡き母の言葉と愛

西日本スポーツ

【ソフトボール日本代表・宇津木麗華監督コラム「麗しき夢」】

 東京五輪でソフトボール日本代表を13年ぶりの金メダルに導いた宇津木麗華監督。「夢であり人生」と語る競技への思いをつづった。

  ◇   ◇

 みんな笑顔だった。真剣だからこそ楽しい。グラウンドに響く快活な声に私の背筋も伸びた。年明けに高校生の試合を見た。2年生だと17歳ぐらい。球速100キロ超の投手が何人もいた。投打の「二刀流」が結構いたのは、藤田倭(ビックカメラ高崎)、あるいは野球の大谷翔平選手(エンゼルス)の影響だろうか。ここ4、5年は東京五輪に向けて海外の選手ばかり研究していたので新鮮だった。

 中国で彼女たちのように夢中になっていた17歳の冬。心臓が悪かった最愛の母が51歳で他界した。1月13日から14日に日付が変わる頃だった。「チームは家族、先輩は姉、後輩は妹と思い、愛情を持って接しなさい」。胸に刻む母の教えだ。母の名前「岳勝花(ユエ・シャンファー)」は「たけ」「かつ」「はな」から成り、今もすてきだと思う。「悪い言葉を口にすると(軍人の)お父さんに迷惑が掛かる」が口癖。3人きょうだいの末っ子の私を学校までいつも迎えに来てくれて、一緒に家に歩いて帰った。夜は両親のぬくもりに包まれながら眠った。

 母似でおてんばだった私が容体の急変を知ったのは福建省でのソフトボールの合宿中。バスと列車を乗り継いで自宅のある北京に戻ると、母は帰らぬ人となっていた。霊安室で対面した母の顔に触れ、手を握った。あれほど温かかった体は冷たく、涙がこれでもかとあふれてきた。兄は私を火葬場へ連れていかなかった。「その方がいい。心の中でずっとお母さんが生きているんだから」。優しかった母の姿は家族全員で撮ったモノクロの写真と同じ。永遠に変わることがない。

 私にとって、日本での「家族」といえる女子日本代表の1年も始まる。7月のワールドゲームズ(米国)と9月のアジア大会(中国)が当面の目標になる。東京五輪の代表15人のうち、5人が現役を引退。トヨタ自動車の峰幸代、渥美万奈、山崎早紀とビックカメラ高崎の山本優と森さやかだ。3月からの強化合宿を前に、1月末に40人ほど集めて代表選考会を行う。ここから約半分に絞る選手の中には新顔も増えるだろう。

 海の向こうでは米国も代表メンバーを発表した。昨夏から残ったのは半数ぐらい。トヨタ自動車の主戦で日本でもおなじみのアボットが含まれていた一方、同じ左腕で米国投手陣をけん引してきたオスターマンはユニホームを脱いだそうだ。新しい投手も2人いた。世代交代を図るのは日本と同じ。2024年パリでは実施されず、28年ロサンゼルスで五輪に復帰できることを信じて育成していく。

 今年6月で59歳になる。気が付けば、母の年齢を大きく超えていた。そんな私も新春早々から、はつらつとした高校生に元気を分け与えてもらった。彼女たちが未来に夢と希望を持てるように、何よりソフトボールを大好きでいられるように、私たちが汗をかかなければならない。金メダルで高まった「熱気」を、今度は冷ましてはいけない。(ソフトボール女子日本代表監督)

 宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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